ポーツマスはアメリカ北東部、ニューイングランド地方ニューハンプシャー州の大西洋沿岸にある町で面積は44平方km(17平方マイル)。1603年にイギリスのブリストル出身の軍人マーティン・プリング(Martin Pring)が当地を探索。その後イギリス人によって開発され1653年にポーツマスの町となった。
当時、イギリスからの入植者の生活は苦難を極めとくに厳寒の季節には多くの死者を出した。ポーツマスにはワンパノアグ族、イロコイ族など多数のインディアン部族が住み、彼らは入植者に食料を提供しまた当地に合った農法を教えた。
収穫期の秋にイギリス人入植者たちが共同でインディアンを招き感謝の意を伝えたのがサンクスギビングデイの起源になったと伝えられている。11月の第3木曜日がアメリカ国民の祝日。翌日の金曜がいわゆるブラックフライデーで年末商戦の始まりの日となる。
初期には友好的だった入植者とインディアンの関係は次第に悪化する。急増したヨーロッパ人はインディアンに土地の提供を強要、争いが頻発する。1675年に起きたインディアン戦争(フィリップ王戦争、King Philip’s War)は凄惨を極め、4千人のインディアンが戦死したと記録されている。
僕たちは町の南側、ピスカタクア川河口近くにあるストロベリーバンケ・ミュージアム(Strawberry Banke Museum)を見学した。ストロベリーバンケの名はヨーロッパからの入植当時には川の土手(Banke)に野イチゴが群生していたことに由来する。
4万平方kmの屋外エリアで17世紀から19世紀の移民の生活文化や歴史的な建物を復元した生きた歴史博物館だ。屋内の家財道具もじっくり見たが素材は質実剛健ながらもデザインは格調高く困難な生活の中にも様式を重んじたイギリス開拓民のプライドが偲ばれる。
当地の名は日本ではポーツマス条約で知られている。日本とロシアは1900年に日露戦争に突入、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの調停で1905年9月5日、当地ポーツマス海軍造船所で停戦の興和条約を締結した。
川沿いの土手に野イチゴが実る