マードはアメリカ西部、サウスダコタ州中部ジョーンズ郡最大の町、東方にミズーリ川が流れる。郡の面積は2517平方km(972平方マイル)。
山岳地帯ならともかく東京都より広いまっ平らなグレートプレーンズ(Great Plains)に人口はたった千人という気が遠くなるほど人口密度が低い過疎の地である。グレートプレーンズとは北アメリカ大陸の真ん中を北から南に広がる堆積平野のことで放牧やトウモロコシの栽培に適している。
サウスダコタ州はインディアンの州としても知られている。スー族の言葉「Dakota(仲間)」が州名となった。紀元前にはパレオ・インディアンが住み、1800年頃にスー族のインディアンリザベーション(Indian Reservation)となった。
インディアンリザベーションとは白人側が条約を提示し住むことを許可した先住民だけの居留地。その地にヨーロッパ入植者の侵入が相次ぎ、西部開拓時代には白人とインディアンの抗争が頻発した。
そんな時代の町並みを再現したのが1880’s Townである。アメリカ各地から西部開拓時代の古い建造物を集めて町をつくったという。ちなみに1880年は日本では明治13年、鹿鳴館が完成したのは1883年だから日本でいうと明治村ということになるだろうか。
主旨としては京都にある東映太秦映画村が近いかもしれない。実際に当地でケビン・コスナー監督の「ダンス・ウィズ・ウルブス(Dances with Wolves)」はじめ多くの映画撮影が行われている。
1880’s Townの創始者リチャード・ハリンガー( Richard Hullinger)は1969年に14エーカーの土地を購入、3年後に80エーカーを買い足し、町づくりを開始した。ダコタホテル(Dakota Hotel)はドラパー、教会はディクソン、ウエルスファーゴ銀行(Wells Fargo Bank)と電報局はゲティスバーグから移築された。
僕たち夫婦はマードの街中のホテルに宿泊し、そこから1880’s Townに出掛けた。インターステイツ90号を西に30マイル、30分の距離だ。当時の市長の執務室も再現されていてデスクの上には今まさに使用中という感じでレトロなペンや便箋が置かれていてその臨場感には感動。ほかに鉄道駅、保安官事務所、散髪屋、レストラン、バーなどもあり、本当に西部劇の現場にタイムトリップしたようでうれしい気分になった。
雨が降りそうな重苦しい空、風がピュ―ピュ―と吹き、舞い上がる砂埃。バーの扉がガタンガタンと開閉する。今にもガンマンが現れそうな不穏な気配。そんな荒天に遭遇出来たら西部劇ムードとしては満点だが、実際には朝からカラッと晴れて清々しい見学日和となった。
1880’s Town、西部開拓時代の町