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ブラックヒルズ国立森林公園

 ブラックヒルズ国立森林公園
Black Hills National Forest, South Dakota, Wyoming
MY FA VO RI TE
グレート・スー・ネイション、偉大なるスー族の聖地

ブラックヒルズはアメリカ西部、サウスダコタ州西部からワイオミング州北東部に跨る4850平方km(1875平方マイル)の広大な国立森林公園。最大標高はハーニー山の2206m。
明るい草色の丘陵地帯にポンデローサ松がくっきり黒く映える風景はまさにブラックヒルズと呼ぶにふさわしい。草原、美しい森と湖、バイソン、ビッグホーンシープなど多くの野生動物が棲む大自然の恵みに溢れた素晴らしい地域だ。
しかしブラックヒルズには複雑なアメリカの歴史がある。1800年以降、ヨーロッパからの入植者は西へ西へと領土を広げた。彼らの西部開拓、フロンティアに先住民インディアンは大いなる障害だった。アメリカ政府は指定地にインディアンを強制移住させる政策を推進した。インディアン・リザベーション(Indian Reservation)である。
政府はブラックヒルズを居留地と決め各地のインディアン・スー族に対し当地域への移住を強要した。その代わり「この土地については永遠にスー族のものであり白人の通過、居住を許さない、Great Sioux Nationである」と確約した。1868年のララミー砦条約である。
ハナシはこれで終わらない。条約締結僅か6年後の1874年、ブラックヒルズに莫大な金鉱脈が発見されこの条約は一方的に破棄された。折しも1873年の経済大恐慌の影響で職を失ったヨーロッパ系白人が大挙して宝の山目当てにブラックヒルズに押し寄せたのだ。法を侵す白人制圧の名目でアメリカ政府軍が当地に侵攻、結果としてスー族の排除と金鉱奪い合いの戦いに発展した。インディアン迫害史に残るブラックヒルズ戦争(Black Hills War)である。
その後もくすぶり続けたこの争いは百年以上を経た1980年、民主党のカーター大統領政権下の最高裁法廷でやっと決着。アメリカ政府によるブラックヒルズの没収は条約違反とする判決が下された。政府は賠償金として1億ドル余りを提示したが、スー族はこれを拒否、あくまでも聖地ブラックヒルズの自治権の復活を主張している。
驚いたことに当地の地下には5千トン、数千億ドル相当のウラン鉱石の埋蔵が判明し、すでに複数の巨大企業により開発は始まっている。経済的発展を願う人々、民族の伝統文化を尊ぶ人々。互いの価値観の溝はそう簡単には埋まらない。