バトンルージュはアメリカ南東部、ルイジアナ州の南東部にあり面積は205平方km(79平方マイル)、標高21m。1699年、インディアンが住む当地にフランス人が入植し町の開発が始まった。バトンルージュはフランス語で「赤い杖」の意味。
1803年アメリカはバトンルージュを含むルイジアナ全域をフランスから1500万ドルで買収した。当時のフランス領ルイジアナとは現在のアメリカの真ん中を縦断するミシシッピ川流域の15州。現在の感覚では到底想像もつかないがフランス皇帝ナポレオンはアメリカ15州の売却益をイギリスとの戦費にあてた。
アメリカ領となったバトンルージュは1849年にルイジアナ州の州都となり町の発展がはじまった。19世紀に建造されたゴシック・リバイバル様式の旧州会議事堂(写真5)の1マイル北側に1932年に建設された高層の州会議事堂がそびえたつ(写真4)。
当地の南50マイルにあるオークアレイ・プランテーションを訪ねた。かつて栄えた大農園の邸宅跡だ。オークアレイとはフランス語で「樫の小路」の意味。何といっても樹齢300年以上という樫の大樹が見事だ(写真1)。
煉瓦と漆喰によるこのグリーク・リバイバル様式の邸宅は砂糖王と呼ばれたサトウキビ農園主バルカー・エメが1837年に建てた。設計はジョセフ・ピリ。所有者は時代ごとに変わり1925年には建築家リチャード・コッホにより大規模な修復が行われた。
いくらアメリカでもこれだけの歴史遺産を個人資産で維持してゆくのは難しいのだろう。最後の所有者ジョセフィン・スチュワートが土地と邸宅を寄付しオークアレイ財団となり、現在はアメリカ歴史的建造物(National Historic Landmark)に指定されている。
いくつかのプランテーションを見学したが一様に19世紀の南部貴族の驕りと奴隷史を物語る重々しい空気感が漂っていた。栄華を極めた大農園主は南北戦争を境に没落した。
19世紀の南部繁栄を物語るプランテーション