ロッキーマウンテン国立公園

アメリカ大陸を縦に貫くロッキー山脈の頂点

ロッキーマウンテン国立公園はアメリカ西部、コロラド州北部に位置し面積は1076平方km(415平方マイル)、最大標高はロングスピーク(Longs Peak)で4345m。1915年に国立公園に指定された。
デンバーから北西60マイルを行ったところにロッキーマウンテン国立公園へのゲートシティとなるエステスパーク(EstesPark)の町がある。
ロッキー山脈は3000m級の山々が5千kmに渡り南北に連なり、北からグレーシャー、イエローストーン、グランドティトンと続き、ロッキーマウンテン国立公園でロッキー山脈は最高頂点となる。
当公園は標高差により著しく生態系が異なる。下から順に山麓地帯(Montane Zone)、森林地帯(Subalpain Zone)、高山地帯(AlpainZone)と三つのライフゾーンに分類され、標高3500mまでの森林地帯にはクロクマ、コヨーテなど多くの野生動物が棲み、4000m以上の高山地帯になると樹木はまったくなくなってツンドラ気候となる。
エステスパークから車でゆっくりと走行中に道路上を悠然と歩く2頭のムース(Moose)と遭遇。最初は大きな馬かと思ったがともかくその大きさに驚嘆。とても鹿の仲間とは思えない。ムースは元々インディアンの言葉であり、英語ではAlces alces。日本ではヘラジカと訳されている。
ムースの最大体長は3m。肩高2.3mで巨大な角まで入れると体高は優に3mを超える。アメリカ国立公園における大型野生動物ウォッチングでは、ムースは灰色熊グリズリー(Grizzly Beer)、アメリカバイソン(Bison)と並ぶ人気ビッグスリーのひとつ。なかでも一番遭遇チャンスが少ないのがムースだ。僕は、グリズリーはグレーシャー国立公園で、バイソンはイエローストーン国立公園で初対面を達成した。
ちなみに最大体重ではバイソンが1100kg、ムースが800kg、グリズリーは450kgとどれもが途方もなく大きい。突然現れたバイソンと30cmくらいの距離ですれ違ったことがあるが攻撃性は感じなかった。もし戦った時の最強はといえば文句なしにグリズリーだろう。ムースはアメリカを代表するカジュアルウェアAbercrombie & Fitchのシンボルマークにもなっている。

ロスオリボス

ワインとオリーブが育つ町

ロスオリボスはアメリカ西海岸、リフォルニア州南部にあり面積6.4平方km(2.5平方マイル)、標高80m、人口は1200人。ロスアンジェルスから北に100マイルの海岸沿いの町、サンタバーバラからだと州道154号で内陸に30マイルの距離。
地名のロスオリボスはスペイン語でザ・オリーブの意味だという。町並みにオリーブの樹々が青々と繁る。季節の花が咲き乱れ、地元産のワインが飲めるカジュアルで素朴なレストランがたくさんある。道に面したテラス席に地元の人々が集う。僕が好きなアメリカ田舎町の典型的なパターンだ。
静かな町なのに風景がキラキラしていて活力に漲っている。ロスオリボスはほぼ満点に近い。しかしサンタフェやタオス、大自然ではグレーシャー、マウントレーニアなどアメリカには桁外れに景色がよくパワー溢れる土地があるので満点は言い過ぎとして星は三つくらいかもしれない。
ロスオリボスはブドウの町でもある。当地を含む広いエリアがサンタバーバラ・ワインカントリーとなっていてサンタイネス・バレー、サンタマリア・バレー、ステリタヒルズ、バラードキャニオン、ハッピーキャニオンの五つAVA(American Viticultural Area)のワイン栽培地域に分類されている。
そのエリアの中でもとりわけ著名なAVAがロスオリボスの属するサンタイネス・バレーで、70のワイナリーが集中している。当地は夜になると太平洋から冷たい霧が流れ込みシャルドネ種、ピノノワール種のブドウがすくすくと育つという。
ロスオリボスの町中にあるテイスティングルームを巡ったが見たことのないラベルだらけ。ワインというのは世界各国、各地に本当に多くの銘柄があってそのバラエティの豊かさにいつも感動する。

レッドウッド国立公園

伝説の巨人ビッグフットが棲む巨木の森

レッドウッド国立公園はアメリカ西海岸、カリフォルニア州北部海岸沿いにあり面積は315平方km(122平方マイル)、アメリカスギの一種でレッドウッドと呼ばれる巨木が茂る樹林一帯が保護されている。1968年に国立公園に指定、1980年にユネスコの世界遺産となリ正式名称はRedwood National and State Parksに変更された。
当地には樹高115mという途方もない大きさのレッドウッドがあり、この木が現在地球上に存在する最大生物といわれている。1966年に屋久島で発見された縄文杉の樹高は30mで10階建てのビルに相当する。その高さの4倍もあるので桁違いといえる。ちなみにこのレッドウッドの推定重量は730トンもありジャンボジェット機(ボーイング747-400)4台分というから驚く。
アメリカ西海岸の森林ではとんでもない大きさの木に出会う。何故これほど巨大に育つのか。四季を通じて温暖な気候、安定的で豊富な降雨量など気候のよさがその理由といわれているが、それだけでこれほど大きくなるのか。この地特有の生物を特別大きく成長させる何か不思議なエネルギーがあるのではないかと考えたくなる。
この巨木の森にはビッグフット伝説がある。アメリカでは有名な二足歩行のUMA(未確認生物)で身長2m以上、足跡のサイズは最大で47cmあるという。毛むくじゃらで筋肉隆々。先住民である当地のインディアンには古くからサスクワッチ(Sacsquec)と呼ばれていて、ロッキー山脈の西側では度々このビッグフットが目撃され論争を巻き起こしている。1967年に撮影されたパターソンギムソン・フィルムは日本のテレビでも話題になった。
ギガントピテクス(Gigantopithecus)の生き残りという説もある。旧石器時代に絶滅したとされるヒト上科の大型の霊長類で体重は推定最大540kgあったという。
レッドウッドの巨木の森は真昼でも薄暗くちょっと怖い感じがする。それでも僕たち夫婦は道端に車をとめ勇気を出してうっそうと茂る森の中をそろそろと歩いたがビッグフットの足跡すら見ることはできなかった。

ランカスター

アーミッシュの暮らしが今も続く

ランカスターはアメリカ北東部、ペンシルベニア州南部にあり面積19平方km(7平方マイル)、標高112m。アメリカ東海岸でもっとも長い川、サスケハナリバー(Susquehanna River)が町の西方に流れる。川の名はインディアン、サスケハナ族に由来する。
メイフラワー号で最初のヨーロッパ人が入植した1620年当時に2000人ほどが当地に居住していたが、その後サスケハナ族は衰退し川の名だけが残った。
ランカスターの歴史は古く、1709年に最初の移民であるペンシルベニア・ダッチが入植し、1729年に正式な町となった。
ランカスターはアーミッシュの町としても知られている。アーミッシュはカトリックの教義に厳格に従い移民当初の生活スタイルを守り続けている人々のこと。アメリカに住むアーミッシュ30万人の15%がランカスター居住といわれている。
ランカスターの郊外ではアーミッシュの家族が乗る馬車に何度も出会った。男性はつばの広い黒い帽子にあごひげ、吊ズボン。女性は髪の毛を束ねボンネットをかぶる独特のスタイルだ。アーミッシュの人々は車を所有しない、自宅に電気を引かないなど厳格なルールを定め近代技術に頼らない生活を300年以上も守り続けている。
ランカスターといえば1985年のハリソン・フォード主演の「刑事ジョン・ブック目撃者(Witness)」の印象が強烈だった。その映画で描かれていたアーミッシュの禁欲的、宗教色の強い規律に縛られた生活が重々しくちょっと恐ろしい生活にも思えた。
しかしランカスターを訪れアーミッシュの人々の生活に少しだけだが触れてみると、実はそれどころかアメリカ開拓時代のシンプルな生き方を継承している普通の人たちだとわかり、僕としてはかなりほっとしたのである。

ラッセン・ボルカニック国立公園

世界最大の溶岩ドーム

ラッセン・ボルカニック(ラッセン火山)国立公園はアメリカ西部、カリフォルニア州中北部に位置し面積は429平方km(166平方マイル)。1914年に国立公園に指定された。
サンフランシスコから北に240マイル、車で4時間ほどの距離。マウントラッセンの標高は3187m。カナダからカリフォルニアに連なるカスケード山脈の南方に位置する。カスケード山脈はアメリカ最大の火山帯でもある。
アメリカの過去の大噴火はすべてこの火山帯から起きている。当地から北にあるオレゴンのセントへレンズ山は1980年の大噴火で山頂部分の500mが吹っ飛び、面積518平方kmの森林が消失し、200マイルに渡る高速道路が破壊された。富士山とそっくりだったセントへレンズの姿は爆発で真ん中がえぐり取られ阿蘇山に似たカルデラ山に変化した。火山噴火は恐ろしい。
ラッセン最期の巨大噴火は1630年から1670年の間だったと考えられている。現在、ラッセンの温泉は沸騰し激しく蒸気が噴出している。ラッセン大噴火から300年以上を経た現在、地下の噴火エネルギーは最大限まで高まっておりアメリカ地質研究所と国立公園局は当公園内の9か所に地震計を設置し常時火山性ガスと地殻変動の測定を行う最大の危機管理体制に入っているという。
カリフォルニアと日本は面積も近いが火山と地震災害の危険と隣り合わせという点でも似通っている。カリフォルニアにはサンアンドレアスという南北に走る断層があり度々巨大な地盤変化を起こしてきた。
1906年のサンフランシスコ大地震では3千人が死亡し22万5千人が家を失った。地震も火山噴火も一定周期をおいて繰り返す。サンフランシスコ周辺の地殻の歪みも限界に近付いており20年以内に巨大地震が発生する可能性は80%だと考えられている。

ラグナビーチ

切り立った絶壁と美しい海岸線をもつ芸術家の町

ラグナビーチはアメリカ西海岸、カリフォルニア州にあり面積は24平方km(9平方マイル)。
1870年代から入植者が増え、1900年代には多くのアーティストが当地に移り住み芸術活動が盛んとなった。ラグナ・カレッジオブ・アート&デザインという1961年創立の小さな美術大学もある。
ラグナビーチの北側、3マイルの海岸線および自然森と丘陵、渓谷を合わせた10平方km(4平方マイル)がクリスタルコーブ州立公園に指定されていて当地周辺の散策コースとなっている(写真1)。
アメリカで大ヒットのTVドラマ「ジ・オーシー(The OC)」の舞台として一躍有名になった新興地クリスタルコーブは当州立公園に面するPacific Coast Highwayの東側にあり、聞くところによるとその住宅価格はマリブやビバリーヒルズのベルエアに並ぶという(写真2)。
休暇でラグナビーチに滞在する場合はホテルライフが中心となる。プールサイドで本を読んだり食事をしたり、敷地の中を散歩したり。ビーチに出かけるくらいでほかにはさほど何もないのでホテルはできればよいところを選びたい。
周辺でよく知られているのは4つ。クリスタルコーブ州立公園を挟んで北側にペリカンヒル(Pelican Hill、写真4-6)、南側にモンタージュ(Montage)、更に南にリッツカールトン(RitzCarlton)とセントレジス(St. Regis)。
僕はゴージャスなロビーとか大型のビルディング形式のホテルより住宅的なビラやバンガローが好きなので、そうなるとペリカンヒルとモンタージュが双壁。両方泊まって同じ料金帯で較べたところ部屋の広さ、レストランなど施設のハード面ではペリカンヒルが上。部屋には暖炉もあってテラスもよい。建築とインテリアがやや男性的という感じもするが、これはゴルフコースと一緒になっているリゾートの特色かもしれない。
一方モンタージュのバンガローは全体的に自然観が強く優雅。どちらかといえば女性的。何といっても目の前にラグナビーチが広がっているというのが強み。ホテルの敷地と海岸線が一体となったナチュラルな花畑もかわいく個人的にはこちらがお薦め。

ヨセミテ国立公園

世界最大、巨大な一枚岩

ヨセミテ国立公園はアメリカ西部、カリフォルニア州の中東部、シエラネバダ山脈の中央部に位置し面積は3081平方km(1190平方マイル)、1890年にアメリカ国立公園、1984年にユネスコ世界遺産に登録された。イエローストーンと並びアメリカを代表する国立公園。
世界最大の樹木ジャイアントセコイヤ、アメリカ最高の落差を持つ739mのヨセミテ滝など、とにかくスケールの大きさが特色。
そのヨセミテを象徴するダイナミックな風景がハーフドームだ(写真1-2)。真ん中からバサッと削り落とされたような垂直の絶壁。標高は2682m。1957年にロイヤル・ロビンスが最初の登頂に成功。ロビンスは埋め込みボルトやアンカーで岩場を傷つけることを嫌うクリーンクライミング倫理の提唱者で今日のスポーツ登山界に大きな影響を与えた。
ヨセミテには巨大岩山の宝庫で、ハーフドームの西側にあるエルキャピタンは一枚岩としては世界最大。
ヨセミテの先住民の歴史は紀元前6000年から始まり、19世紀にはアワニチ族(Ah-wah-ne-chee)の居住地だった。しかし1848年にカリフォルニアで金鉱脈が発見され、インディアンの土地にも金鉱を求める採掘者が侵入し争いが多発した。
ヨセミテのインディアン制圧のためにカリフォルニアのマリポサ軍隊が侵攻、1851年のマリポサ戦争である。勇猛で知られたテナヤ酋長(Chief Tenaya)率いるアワニチ族は抵抗したが最後は敗退した。
しかし幸いなことにヨセミテは森林伐採や採掘、ダム建設から免れることができた。開発が最優先される時代にヨセミテの貴重な大自然が守られたのはジョン・ミューアやセオドア・ルーズベルトなど自然主義者の運動によるもので、その後のアメリカ国立公園法の草案に繋がってゆく。

メンフィス

黒人音楽ブルース発祥の地、そしてキング牧師最期の地

メンフィスはアメリカ南東部、テネシー州の西端に位置し面積は763平方km(298平方マイル)、最大標高は103m。メンフィスは音楽産業の町。
ミシシッピ川沿いにあるダウンタウンの東側ユニオンアベニューにあるサンスタジオはロックンロール生みの親サム・フィリップスが1950年に創設、アメリカ音楽を語る上で欠かせない伝説的な録音スタジオである。B.B.キング、ジョニー・キャッシュ、エルビス・プレスリーをはじめ多くのスターがこの小さなスタジオから世界へ羽ばたいた(写真3-4)。
そしてその1本南側にあるライブハウスが軒を連ねる通りがビールストリート(Beale Street)だ。この道路はUSA TODAY紙で「アメリカでのもっとも象徴的なストリート」にも選出された(写真1-2)。しかし何よりもメンフィスではまず見ておかなければならない歴史的スポットがある。ロレイン・モーテルだ(写真5-7)。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師暗殺の場所である。
メンフィスは南北戦争以前には奴隷売買の市場として栄え、20世紀以降も黒人労働力を背景にアメリカ最大の綿花集積地として発展を続けた。1960年代に公民権運動が活発となり、その功労者であるキング牧師が1968年4月4日、このモーテル、306号室で凶弾に倒れた。
実際目の当たりにして驚いたのは通路脇からベッドが見えるほどの簡易な部屋だった。1964年にすでにノーベル平和賞を受けている国際的なVIPが何故このようなダウンタウンはずれの寂しいモーテルに宿泊しなければならなかったのか。奴隷制度が廃止された100年後に法の外で起きていた黒人差別についてあらためて考えさせられた。
現在、このモーテルはアメリカ政府が買い取り、永久保存されモーテルを含む周辺は国立公民権博物館(The National Civil Rights Museum)として運営されている(写真4)。キング牧師は1929年1月15日生まれ。1月の第3月曜はキング牧師の日としてアメリカ国民の祝日となっている。

メサベルデ国立公園

忽然と消えた謎の古代民族アナサジの住居遺跡

メサベルデはアメリカ西部、コロラド州南西部に位置し面積は211平方km(81平方マイル)、最大標高は2600m。1906年に国立公園に指定、1978年ユネスコ世界文化遺産に登録された。
アメリカ先住民、いわゆるインディアンの起源をかんたんに記すと、ヨーロッパ、アジアに広がった人類は徐々に東に進みベーリング海峡を越えアラスカから南にロッキー山系を伝ってアメリカに達した。ベーリング海峡は氷河期には陸地化しており、それは3万年から1万3千年前の長期に渡る。
モンゴロイドの南アメリカ最南端への到達は1万年前と発表されているから、アメリカの人類史のスタートは今から2万年から1万3千年前頃からと考えられる。
メサベルデに居住したアナサジ(Anasazi)族は狩猟採集も行う農耕民族であった。紀元前500年頃には当地の丘陵などの台地で生活し、紀元700年代には統率された集団として集落を形成した。キバ(Kiva)という宗教儀式の施設をつくり、周辺を区画割りして木造を泥で固めたアドビの家を建てた。
12世紀になると建物は石造工法となり、数千人の住居は断崖絶壁に移った。これがメサベルデの遺跡群である。複数階建てで家族ごとに住居出来る集合住宅か団地のようにも見える。200部屋あるクリフパレス、バルコニーハウス等々多くあり、当地に点在する。
しかし1425年頃に彼らは当地からいっせいに姿を消した。コロラド州のメサベルデにとどまらずユタ、アリゾナ、ニューメキシコ州の広大な地域に住む30万人の先住民もほぼ同じ時期に消えていなくなった。
この年にいったい何が起きたのか。不思議なことに遺跡には遺骨は無く、抗争や疫病の跡は見当たらないというから僕の好奇心はますます高まるのである。

マウントレーニア国立公園

標高4329mの高峰、聖なる山、ティースワーク

マウントレーニア国立公園はアメリカ西海岸、ワシントン州の北西部、シアトルから60マイルの距離に位置し、面積は953平方km(368平方マイル)。1899年にアメリカ5番目の国立公園に指定された。
太平洋から吹きつける湿度を含んだ風がレーニアの山岳に衝突し猛烈な雪を降らせる。この雪が数十ものダイナミックな氷河を形成した。エドモンズ氷河はアメリカ本土で最大面積、カーボン氷河はアメリカ本土で最大体積である。
レーニアの南斜面、パラダイスは夏季には高山植物が咲き乱れる景観地区(写真2-4)。しかし冬になると様相は一変、地球上でもっとも降雪量の多い地域となる。1971年冬、28.5mの世界最高積雪を記録した。
マウントレーニアは地球内部から吹き上がる火と水から出来た勇壮な独立峯。大地のエネルギーを脈々とたたえ、麓は強いパワースポットで満たされる。神々しいレーニアは数千年以上前からインディアンと霊的世界観で結ばれていた。
マウントレーニアの東側を流れるホワイト川流域には、かつてピュヤラップ(Puyallup)族、マックルシュート(Muckleshoot)族、ニスクォーリ(Nisqually族)、ヤカマ(Yakama)族などが居住し、彼らは聖なる山をティースワーク(Ti ‘ Swaq)と呼んだ。
20世紀後半からマウントレーニアをインディアンの言葉に戻す運動が起きている。2010年、ワシントン州知事はピュヤラップ族と調印し名称変更を具体化する可能性を示唆した。
国立公園内のロッジ、パラダイスイン(Paradise Inn)は1917年開業。マウントレーニア国立公園を象徴する歴史的木造建築物である。石造暖炉を設えたロビー、ウッディで温かみのあるダイニングの内装、料理も素晴らしい(写真6)。2008年にリノベーションされ耐震化工事などが施された。

マード

1880’s Town、西部開拓時代の町

マードはアメリカ西部、サウスダコタ州中部ジョーンズ郡最大の町、東方にミズーリ川が流れる。郡の面積は2517平方km(972平方マイル)。
山岳地帯ならともかく東京都より広いまっ平らなグレートプレーンズ(Great Plains)に人口はたった千人という気が遠くなるほど人口密度が低い過疎の地である。グレートプレーンズとは北アメリカ大陸の真ん中を北から南に広がる堆積平野のことで放牧やトウモロコシの栽培に適している。
サウスダコタ州はインディアンの州としても知られている。スー族の言葉「Dakota(仲間)」が州名となった。紀元前にはパレオ・インディアンが住み、1800年頃にスー族のインディアンリザベーション(Indian Reservation)となった。
インディアンリザベーションとは白人側が条約を提示し住むことを許可した先住民だけの居留地。その地にヨーロッパ入植者の侵入が相次ぎ、西部開拓時代には白人とインディアンの抗争が頻発した。
そんな時代の町並みを再現したのが1880’s Townである。アメリカ各地から西部開拓時代の古い建造物を集めて町をつくったという。ちなみに1880年は日本では明治13年、鹿鳴館が完成したのは1883年だから日本でいうと明治村ということになるだろうか。
主旨としては京都にある東映太秦映画村が近いかもしれない。実際に当地でケビン・コスナー監督の「ダンス・ウィズ・ウルブス(Dances with Wolves)」はじめ多くの映画撮影が行われている。
1880’s Townの創始者リチャード・ハリンガー( Richard Hullinger)は1969年に14エーカーの土地を購入、3年後に80エーカーを買い足し、町づくりを開始した。ダコタホテル(Dakota Hotel)はドラパー、教会はディクソン、ウエルスファーゴ銀行(Wells Fargo Bank)と電報局はゲティスバーグから移築された。
僕たち夫婦はマードの街中のホテルに宿泊し、そこから1880’s Townに出掛けた。インターステイツ90号を西に30マイル、30分の距離だ。当時の市長の執務室も再現されていてデスクの上には今まさに使用中という感じでレトロなペンや便箋が置かれていてその臨場感には感動。ほかに鉄道駅、保安官事務所、散髪屋、レストラン、バーなどもあり、本当に西部劇の現場にタイムトリップしたようでうれしい気分になった。
雨が降りそうな重苦しい空、風がピュ―ピュ―と吹き、舞い上がる砂埃。バーの扉がガタンガタンと開閉する。今にもガンマンが現れそうな不穏な気配。そんな荒天に遭遇出来たら西部劇ムードとしては満点だが、実際には朝からカラッと晴れて清々しい見学日和となった。

ホワイトマウンテン国立森林公園

森と渓谷のパワースポット

ホワイトマウンテン国立森林公園はアメリカ北東部、ニューイングランド地方ニューハンプシャー州北部からメイン州西部に跨り面積は3039平方km(1173平方マイル)。1918年に国立森林公園に指定された。メイン、ニューハンプシャー、バーモント、マサチューセッツ、ロードアイランド、コネチカットの6州をニューイングランド地方と呼ぶ。
当森林公園を横断する全長100マイルのホワイトマウンテン・トレイルはナショナルシニック・バイウェイに指定されている。アメリカでは道路を学術や観光資源の側面から評価し格付けを行っている。
考古学、文化、歴史、自然、レクレーション、景観の6項目を審議し120か所がナショナルシニック・バイウェイに、更に30か所が最高ランクの道路としてオールアメリカンロードに指定されている。歴史街道「ルート66」、ミシシッピに沿って走る「グレートリバーロード」などが有名。
当森林公園で最高峰がワシントン山で標高1917m。かつて神聖な山として当地に住むインディアン部族の信仰の対象となっていて入山も固く禁じられていた。山頂近くには行っていないので感覚はつかめなかったがパワースポットの地であることは間違いない。川に沿ってトレイルを歩いたが吹き渡る風は爽快で気力に満ちていた。
ワシントン山は突然猛烈な風が吹く危険な山としても知られている。その風力は桁外れで103m(時速372km)という風速世界2位の記録もある。東西の風が山頂付近で衝突するという地理に加えて北方の冷たい風と南の暖気が交錯する特殊な気象条件が重なって起きる現象だという

ホットスプリングス国立公園

スパの始祖バスハウス、伝統的な温泉療養地

ホットスプリングス国立公園はアメリカ南東部、アーカンソー州中央部に位置し、面積22平方km(9平方マイル)は国立公園では最小。最大標高は317m。1921年に国立公園に指定された。
源泉地帯となるノースマウンテン、ウエストマウンテンおよびその谷間のバスハウス・ロウが公園エリアだが、商業施設やホテルが立ち並ぶ景観はアメリカ国立公園としてはきわめて異質。
当地は数千年に渡りインディアンが居住し温泉は身体保養に活用されていた。1541年にスペイン人によって発見され、17世紀にフランス人が入植した。
1875年に当地でははじめての高級ホテル、アーリントン(Arlington)が開業、歴代大統領をはじめマフィアの大親分アル・カポネも定宿にしていたという歴史的ホテル(写真4)、同年にホットスプリングス鉄道も開通し温泉観光地として徐々に発展してゆく。
しかしバスハウスの入湯者数は1946年の64万人をピークに徐々に減少しだす。長らく滞在し療養するバスハウスは現代生活には向かない。洗練されたデイスパやスパリゾートの普及、医学の進歩も遠因。そのせいか町全体の寂れた感じは否めない。
アーリントンに2泊したがさすがに老朽化がひどくホテルとしての基本機能は無いに等しかった。ホットスプリングスの南方のハミルトン湖周辺には近代的なリゾート施設が多くあり、滞在はこちらがお薦め(写真1)。
ホットスプリングス出身の有名人がいる。ビル・クリントン42代大統領だ。小学生から高校卒業まで育った家は国立公園エリアのバスハウス・ロウから車で5分のところにある(写真5)。少年期は決して恵まれた境遇ではなかったというが地元のホットスプリングス高校を卒業後、三つの大学を経て32歳の若さで州知事、その後の大出世は記すまでもない。
好奇心に負け生家をこっそり偵察に出かけた。気のせいかもしれないが小高い丘に建つ小さな家の周りにはスッキリした空気感が立ち込めパワースポットかと思えるほど強い気力に満ちていた。

ペピン

「大草原の小さな家」、ローラ・インガルスの生まれ故郷

ペピンはアメリカ中北部、ウィスコンシン州西部に位置し面積は645平方km(249平方マイル)、町の南端をミシシッピ川が流れる。
ミズーリ州セントルイスからぺピンを目指し一路北に向かった。500マイルの道のり。地平線まで続くトウモロコシ畑。輝くような濃い緑の葉が真っ青な空に映える。その風景はイリノイ州からアイオワ州、更に北上しウィスコンシン州に入ってもいっこうに変わらない。アメリカ中北部の大平原(Prairie)はどこまで行っても本当にまっ平らだ。
更に北上、まだまだ続くトウモロコシ畑の真ん中に小さな田舎町ぺピンはあった。南北戦争さなかの1863年にイングランド移民のチャールズ・インガルスとその妻キャロラインは当地ぺピンの森のなかに小さな丸太小屋(写真1)を建て4年後にローラが生まれた。後にアメリカを代表する女流作家となるローラ・インガルス・ワイルダー(Laura Ingalls Wilder)である。
西部開拓を夢見る両親と共にローラはアメリカ各地を転々とし、貧しさと数々の苦難の日々を過ごしながらもアメリカ大自然のなかでたくましく生きてゆく。晩年に娘の勧めで大自然の美しさや子供の頃の暮らしを綴った自伝記を書き始め、1932年に刊行された「大きな森の小さな家(Little house in the Big Woods)」が世界的なベストセラーとなる。
その後「大草原の小さな家(Little House on the Prairie)」をはじめ数々の名作を生みだした。映画で見る西部開拓はガンマンやカウボーイが頻繁に登場し実に男性的で勇ましい。しかし実際にはローラの家族のように素朴で堅実な開拓の歴史があったに違いない。
僕たち夫婦はローラが暮らしたアメリカ中北部の田舎町を訪ね歩き、ローラの足跡を辿り、その生活をじかに感じてみたいと思った。ウォルナットグローブ、デ・スメットについてはそれぞれの頁に記す。

ベアマウンテン州立公園

ニューヨーク州立公園の歴史的ロッジ

ベアマウンテン州立公園はアメリカ北東部、ニューヨーク州にあり面積は21平方km(8平方マイル)、標高は391m。大都市ニューヨーク・マンハッタンから北に50マイル。この公園のさらに西側がハリマン州立公園となっている。
ベアマウンテンは急峻なハドソン川の西岸に位置し崖とゴツゴツとした岩が多い森と湖の風景で1913年にニューヨーク州立公園に指定され、2年後に宿泊施設であるベアマウンテン・イン(Baer Mountain Inn)がオープンした。このホテルは歴史あるアメリカ遺産として2002年に国立公園局が管理するアメリカ歴史登録財(The National Register of Historic Place)に指定されている。
国立公園法の施行、公園局の設置はアメリカが世界に誇れる法律のひとつだ。それに伴い自然環境に馴染む素晴らしい外観、内装を持つ公園内ロッジが多く生まれてきた。その代表、イエローストーン国立公園のオールドフェイスフル(The Old Faithful)の開業は1904。クレーターレイクのロッジ(Crater Lake Lodge)は1915年、ヨセミテのアワ二―(Ahwahnee)は1927年の開業だ。
ベアマウンテン・インは公園ロッジ草創期の1915年というかなり早い時期にオープンした公園史に名を遺す歴史的ロッジであることは間違いない。6年間のリノベーション期間を経て2012年に再開業した。僕たち夫婦は改装後のロッジにそれなりに期待を持って滞在したが、大いに落胆。石と木で出来た建物外観は重厚感に溢れ格調は高いが中身がなかった。客室内装や人的サービスは情けない限り。
T型フォードの生産が始まったのが1908年。とはいえこのホテルが出来た1915年はモータリゼーションのまだまだ黎明期。今ではベアマウンテンはマンハッタンから車で1時間の距離。しかしのんびりと馬車に揺られて赴いただろう開業当初は滞在型リゾートホテルとしての価値は高かったと思う。
このロッジだけではなく都市近郊の歴史的ホテルは遠方からの旅行者より地域の会合やウエディングなど大口の団体客に重きを置くことが多い。そういう時にたまたま当たってしまうとロビーでワインを飲んだり、庭でゆっくり本を読んだりという旅のくつろぎ感は吹っ飛んでしまうのだ。


ペトログリフ国立モニュメント

謎の古代人アナサジのビジュアルメッセージ

ペトログリフ国立モニュメントはアメリカ南西部、ニューメキシコ州中央部に位置し、アルバカーキからリオグランデ川を挟み西に10マイルの距離、面積は29平方km(11平方マイル)。
当地には24,000点に上る世界最大数の先史時代のペトログリフと考古学上の重要な史跡、及び5箇所に渡る火山噴石孔があり、それらの文化、自然遺産を合わせて1990年に国立モニュメントに指定された。
ペトログリフとは岩石や洞窟内部に描かれた意匠や絵文字彫刻の総称。先住民アナサジ(Anasazi)族が紀元前1200年から紀元1400年頃に遺したものと考えられている。
僕たち夫婦はこの絵文字を順次見て回ったがテーマは擬人化した動物か、意味不明な幾何学的な図形が多い。
二足歩行のカメのような生き物はいったい何がモチーフになったのだろうか。アナサジ族は狩猟採集と農耕の双方を営み暮らしてきたが、いずれにしても感受性にすぐれた平和主義の民族だったのだろう。多くの絵文字をじかに見てあらためてそう感じた。
アナサジ族はユタ、コロラド、ニューメキシコ、アリゾナ州周辺に数多く居住していたが、15世紀のある時期にいっせいに姿を消した。その理由はいまも謎とされる。アメリカを移動しプエブロの先祖(Ancient Pueblo People)となったという説もあるが正確にはわからない。
現在プエブロ族は19の種族、3万5千人がアメリカ政府により公認されていて、アコマ、ズニ、タオス、ホピなどアドビ(Adobe)煉瓦で造られた集落に住む。
ちなみに先史以来アメリカには900以上のインディアン部族が確認されているが、彼らは一様に自尊心が高くそれぞれが固有の文化と言語を持ち他族をなかなか受け入れなかった。数千年に渡り部族間抗争を繰り返してきたというが、もしアメリカのインディアン部族が17世紀の時点で統一されていたらヨーロッパ入植者によるアメリカ開拓の歴史は変わっていただろう。

ブラックヒルズ国立森林公園

グレート・スー・ネイション、偉大なるスー族の聖地

ブラックヒルズはアメリカ西部、サウスダコタ州西部からワイオミング州北東部に跨る4850平方km(1875平方マイル)の広大な国立森林公園。最大標高はハーニー山の2206m。
明るい草色の丘陵地帯にポンデローサ松がくっきり黒く映える風景はまさにブラックヒルズと呼ぶにふさわしい。草原、美しい森と湖、バイソン、ビッグホーンシープなど多くの野生動物が棲む大自然の恵みに溢れた素晴らしい地域だ。
しかしブラックヒルズには複雑なアメリカの歴史がある。1800年以降、ヨーロッパからの入植者は西へ西へと領土を広げた。彼らの西部開拓、フロンティアに先住民インディアンは大いなる障害だった。アメリカ政府は指定地にインディアンを強制移住させる政策を推進した。インディアン・リザベーション(Indian Reservation)である。
政府はブラックヒルズを居留地と決め各地のインディアン・スー族に対し当地域への移住を強要した。その代わり「この土地については永遠にスー族のものであり白人の通過、居住を許さない、Great Sioux Nationである」と確約した。1868年のララミー砦条約である。
ハナシはこれで終わらない。条約締結僅か6年後の1874年、ブラックヒルズに莫大な金鉱脈が発見されこの条約は一方的に破棄された。折しも1873年の経済大恐慌の影響で職を失ったヨーロッパ系白人が大挙して宝の山目当てにブラックヒルズに押し寄せたのだ。法を侵す白人制圧の名目でアメリカ政府軍が当地に侵攻、結果としてスー族の排除と金鉱奪い合いの戦いに発展した。インディアン迫害史に残るブラックヒルズ戦争(Black Hills War)である。
その後もくすぶり続けたこの争いは百年以上を経た1980年、民主党のカーター大統領政権下の最高裁法廷でやっと決着。アメリカ政府によるブラックヒルズの没収は条約違反とする判決が下された。政府は賠償金として1億ドル余りを提示したが、スー族はこれを拒否、あくまでも聖地ブラックヒルズの自治権の復活を主張している。
驚いたことに当地の地下には5千トン、数千億ドル相当のウラン鉱石の埋蔵が判明し、すでに複数の巨大企業により開発は始まっている。経済的発展を願う人々、民族の伝統文化を尊ぶ人々。互いの価値観の溝はそう簡単には埋まらない。

ブラウンカウンティ

インディアナ、インディアンの土地という名の州

ブラウンカウンティ州立公園はアメリカ中西部、インディアナ州中央部に位置し面積は64平方km(25平方マイル)、最大標高は322m。1929年にインディアナ州立公園に指定された。州都インディアナポリスから南に30マイルの距離。
アベマーティン・ロッジ(Abe Martin Lodge)という公園内ロッジがあるが、僕たち夫婦は公園の北側にあるブラウンカウンティ・イン(Brown County Inn)に宿泊した。木造のカントリー風の建物でレストランの雰囲気もナチュラルで好みのスタイルだ。
ブラウンカウンティは厳寒の冬、蒸し暑い夏と四季のメリハリが明快。とりわけ秋の紅葉が素晴らしいという、日本に似た気候で丘陵と谷が連続する地形も日本によくある風景だ。
当地は1818年のセントマリー条約によりアメリカがインディアン、デラウェア族から取得した土地である。インディアナの語源は「インディアンの土地」で、その名の通りミシシッピ川流域でのインディアンの歴史は古く、紀元前8000年頃に遡る。
アジアから氷河伝いにベーリング海峡を渡り北アメリカ大陸に到達したインディアンの祖先となるモンゴロイドは元々移動を繰り返す狩猟民族であり、そのため彼らはアメリカ各地に広がっていった。紀元前1000年頃からは農耕系インディアンが当地に定着した。小さな集落を形成し土器を作りトウモロコシを栽培するアデナ文化、ホープウェル文化である。
そして9世紀からインディアンによるミシシッピ文化が花開く。少数の権力者が多くの民を治める首長制国家で、彼らはマウンド(Mound)と呼ばれるピラミッドに似た巨大構造物をミシシッピ流域に数多く建設した。
しかし統率されたミシシッピ文化は16世紀に衰退した。数多くのインディアン部族が対立し抗争を繰り返していた17世紀はアメリカの植民地化が始まったヨーロッパ人にとって都合のよい状況だった。

ビッグベンド国立公園

大迫力の砂漠と山岳。アメリカ最大の辺境の地

ビッグベンド国立公園はアメリカ南東部、テキサスとメキシコとの州境を流れるリオグランデ川の北側、面積3242平方km(1251平方マイル)は東京都の1.5倍。最大標高はチソス山脈にあるエモリー岳で2387m。1944年に国立公園に指定された。
同じくテキサスの南にあるグアダルーペマウンテンをアメリカの大秘境と書いたが、こちらは更に辺鄙。テキサスのヒューストン、ダラスのどちらからでも直線距離で650マイル、車で延々片道11時間かかる。ここまで奥地になると余程の動機が無ければ誰もここまでは来ないだろう。
事実、統計によると来園者の殆どがテキサス在住者なのだという。しかし辿り着いた時のうれしさは格段。よくこんなところまで来たものだと我ながら感動する。
ヨセミテやイエローストーンと違って観光的なポイントがない分、余計に空漠とした風景に迫力を感じる。地平線まで続く平原と尖った山々の荒々しい風景はまさにアメリカ大自然と形容するにふさわしい。
ビッグベンドの殆どの面積をチワワ砂漠が占め、中央部にチソス山脈が走る。高温の砂漠から冷涼な山岳地帯と多様性に富んだ気候は多種の動植物を育み、生態系の宝庫となっている。また土地を掘り返すと白亜紀、第三紀の生物の化石が大量に出土するという。当地は地質学上における重要な地域でもあると考えられている。
ビッグベンドの宿泊施設及びレストランはチソス・マウンテンロッジ(Cisos Mountain Lodge)1軒のみ。ただし公園から20マイルほど離れた田舎町ターリングア(Tarlingua)とアルパイン(Alpain)にはモーテルがいくつかあり、その点では周辺にまったく何も無いグアダルーペマウンテンの秘境感には及ばない。
この地域には、かつて遊牧民といわれた古代狩猟民族チソス・インディアン(Chisos Indian)、その後メスカレロ・アパッチ(Mescalero Apache)族、更に18世紀にはコマンチェ(Comanche)族が居住したが、ヨーロッパ入植者の移住が進んだ19世紀以降に衰退した。

ビッグサー

クジラ飛ぶ絶景

ビッグサーはアメリカ西海岸、カリフォルニア州セントラルコーストに位置し、モントレー岬カーメルから南に90マイルほどの断崖絶壁の海岸線地域。
1769年、後にカリフォルニア初代総督になるスペイン軍人ガスパル・デ・ポルトラ(Gaspar de Portola)率いる軍船が当地に接岸、ビッグサーに上陸した最初のヨーロッパ人となった。ビッグサーはスペイン語で「大きな南」の意味。
翌年、スペインはカリフォルニアを植民地とすることを世界に宣言した。先住民であるインディアン、オローニ族、エセレン族、サリナン族はスペインの抑圧政策で衰退した。しかし当地は1821年にメキシコ支配下となった。米墨戦争(Mexican-American War)でメキシコはアメリカに敗退し、1848年からは当地を含むカリフォルニア一帯がアメリカ領となった。
カーメルからスタートしてカリフォルニア州道1号線を海岸線に沿い一路南下。まさにカリフォルニアの青い空、ドカーンと広がる太平洋、空間の大きさに圧倒される。
しかし崖の下は海、道路の反対側は急傾斜の岩壁、大きなカーブが交互に連続して風景を見ている余裕は中々ない。アメリカを代表するシニックドライブであるというが、高所から見下ろす系の大自然はリラックスした気分にはなれない。
この高低差のきつい壮観な風景をつくっているのがサンタルシア山脈だ。山が海底から急角度でせり上がり海から3マイルの距離で1571mの山頂に達する。海岸線上にある山としてはアメリカ最高峰である。
ドライブに少し疲れたので道路沿いのカフェでしばしの休憩。海側の景色の良いテラス席に。大海原の向こうを眺めていたら突然クジラが飛びあがり僕たち夫婦は大感動。その店の名前はホエールウォッチングカフェ(Whale Watching Cafe)だったので、それほど偶然ではなかったのかも知れない。

パドレアイランド国立海浜公園

海岸草原、コースタル・プレーリー

パドレアイランド国立海浜公園はアメリカ南西部、テキサス州南部にあり、面積は528平方km(203平方マイル)。パドレ島はテキサス海岸線から2マイルほどの沖合に並行する幅2マイル、長さ数百マイルに及ぶ細長い島。
コーパスクリスティから町の東端に架かる3マイルの橋を渡れば、あっけないほどかんたんにパドレ島に到着する。しかし着いてみて感じたのはこの島は陸と海の境界がきわめて曖昧だということだ。これはコースタル・プレーリー(海岸草原、Coastal Prairie)と呼ばれ、まさに草むらと海が混ぜ合わさったような不思議な風景だ。
メキシコ湾岸では陸地と水域の中間にあたる湿原や沼沢地、干潟が豊富でこれらを総称してウェットランドと呼んでいる。水鳥の生息地になるだけではなくウェットランドは地球規模で水系を調節する働き、つまり河川の氾濫や高波、津波などの自然災害を最小限に食いとめる役割も担っているのだそうだ。
当地はウミガメの産卵地としても知られ、加えて280種の渡り鳥が世界各国から飛来するというアメリカでも有数の海浜保護区となっている。
フロリダからメキシコ湾岸地域には稀に桁違いに巨大なハリケーンが襲来する。1554年、スペイン艦隊サンエステバン(San Esteban)はパドレ島海域で暴風雨に遭い難破。巨額の金銀財宝が海中に沈み300人が死亡するという歴史上の海難事故が起きた。
16世紀のスペインといえば無敵艦隊(Spanish Armada)を率いた世界の覇者。1521年にアステカ文明、その後マヤ文明を滅ぼし1532年にはインカを全滅させ、南北アメリカを制圧。東南アジアを含む世界制覇に邁進中のスペイン黄金の世紀(Siglo de Oro)と呼ばれた絶頂期の出来事だった。
それから410年を経た1964年にサンエステバンは当地沖合で発見された。年月をかけ修復を終えた難破船は現在コーパスクリスティ科学歴史博物館に展示されている。

バッドランズ国立公園

映画「ダンス・ウィズ・ウルブス」の舞台

バッドランズ国立公園はアメリカ西部、サウスダコタ州南西部にあり面積は924平方km(357平方マイル)、最大標高は1018m、1978年に国立公園に指定された。
アメリカ大陸の真ん中特有の大平原地帯を走行していると突然切り立った白褐色のロックマウンテンンの風景が出現する。なだらかな緑の草原と寂寥とした岩山の対比は実にダイナミック。
バッドランズの地質はアメリカ大自然のなかでも比較的新しく、地殻変動で隆起したメサ(台地)が数十万年前に当地の方向に流れ込んだシャイアン川に削られ現在のような特異な風景が出来あがった。この先数十万年で岩山はすべて浸食され、やがて平地になるという。
グランドキャニオンの最古の地層は20億年前なので、バッドランズの景観が生まれて消え去るまでの百万年は地球の歴史から考えるとほんの一瞬の儚い出来事だといえるかも知れない。
当地は元々インディアンの居住地だった。バッドランズのシーダーパス(Cedar Pass)にあるピナクルと呼ばれる奇妙な形の岩山はケビン・コスナー監督・主演映画「ダンス・ウィズ・ウルブス(Dances with Wolves)」の撮影が行われた場所。
南北戦争を舞台にインディアン・スー族と北軍少尉の心の交流を描いた作品で1991年にアカデミー賞を受賞した。過去の西部劇とは異なりインディアン迫害やバッファロー殺戮などアメリカ白人社会への批判色が強い作品のため映画化を妨げる動きもあったという。
1889年にアメリカ政府により禁じられた「ゴースト・ダンス」は最近になって復活が許可された。死者の魂を蘇らせるス―族独自の伝統的儀式である。
インディアンが崇める神聖な土地、そしてその地下に眠る金やウランの鉱脈。尖がった奇怪な山々。バッドランズは文句なしのパワースポットである。
僕たち夫婦はCedar PassにあるCedar Pass Lodgeに宿泊した。キャビンのテラスにはウッドチェアがあり眺望は抜群、ピナクルから吹く風がとても爽快だ。白木材をふんだんに使用した内装は簡素ながらも清潔感があり快適だった。

デビルスタワー国立モニュメント

未知との遭遇、いったい何だ!この山は

デビルスタワーはアメリカ西部、ワイオミング州北東部に位置し、面積は5.5平方km(2.1平方マイル)、最大標高は1558m。1906年に国立モニュメントに指定された。
デビルスタワーといえばスティーブン・スピルバーグ監督「未知との遭遇」 のインパクトがあまりにも強烈。映画のラストシーンで山頂に円盤が舞い降りる。宇宙人が人類とコンタクトする謎の場所、それはデビルスタワーだった。
映画のイメージとどうしても重なるけれど、実際にデビルスタワーの麓に立つと今にも何かが起きそうな不思議な感覚に見舞われる。ワイオミングの穏やかな草原地帯の風景と、何の脈絡もなしにドンと突き出た独立峰の組み合わせはあまりにもミスマッチ、とにかくSF的な眺めなのだ。
デビルスタワーは古代より当地に住むインディアン・スー族、カイオア族、アラパホ族をはじめ20を超える部族の崇拝の対象となってきた。観光客増大とロッククライマーの出現により先住民は信仰のための祭祀が困難になったが、1994年にクリントン大統領が制定したインディアン聖地保護政策により伝統文化が復活しつつある。
実は山のように見えるかたまりは巨岩、ひとつの石だそうである。2億年前、中生代三畳紀の火山活動で噴火したマグマが厚い堆積岩層を突き破って垂直に吹きあがり、そのまま冷えて現在のデビルスタワーの形をした硬質の溶岩塊(響岩質斑岩)が地中に出来あがった。その後数千万年かけて周辺の堆積岩層が浸食されデビルスタワーが地上に出現したという。
デビルスタワー周辺の草原はプレーリードッグの一大生息地帯でもある。傍に近寄る人間にはお構いなし。小さな体を背伸びさせ、ひたすら遠くだけを眺める姿は何ともほほえましい(写真4)。悪魔の塔に圧倒された僕たち夫婦の緊張感はすっかり緩んでしまうのだった。

デスバレー国立公園

荒々しい大地。灼熱の太陽

デスバレー国立公園はアメリカ西海岸、カリフォルニア州とネバダ州に跨るアメリカ本土最大の国立公園。公園面積13158平方km(5078平方マイル)は東京都の6倍。最大標高はテレスコープ峠で3368m、最低地点はバッドウォーターでマイナス86m。1994年に国立公園に指定された。
空気が極度に乾燥しているため、少々雨が降っても地上まで届かないという過酷な環境。摂氏35度以上の気温が年間8か月続き、真夏の最高気温は56.7度を記録したという、デスバレーはまさに死の谷なのだ
僕はアメリカで摂氏45度を体験したが日本の夏の暑さとはかなり違う感覚だった。汗を全然かかないのでそれほど不快感はない。しかし高温乾燥下では体からみるみる水分が奪われてゆく感覚がありそれに応じてどんどん水を補給しなければならない。そして気を付けるべきは帯電した車や金属のドアノブだ。不用意に触ると痛い目に遭う。バチっと静電気の火柱が飛び、相当恐ろしい。
これほど気温が高くなるとレストランやホテルは猛烈にエアコンを効かすのでたいていの日本人は暑さそのものより温度差と乾燥で体調がおかしくなる。しかしヨーロッパ系の白人はこういう環境下でもいたって平気、すこぶる元気である。
つけ加えるとアメリカの風邪薬や鎮痛薬は少し危険。成分が強いので日本人は四分の1に割って飲むと良いとよくいわれる。彼らは酒にも強くほとんど酔わないので驚いたこともある。西部開拓時代、この過酷な死の谷を越え更に西へ西へと進んだ人々が現実にいたかと思うと、その体力と精神力にあらためて驚く。
ファーニスクリーク(Furnace Creek)にビジターセンターがあり博物館もある。西部劇に出てくるようなFurnace Creek Innのビラとレストランは簡素だがたいへん雰囲気がよい。
なおデスバレーのレーストラック・プラヤ(Racetrack Playa)という地域で夜中に岩石が数十m移動する不思議な現象が度々目撃されている。1年に数十km移動したという報告もある。これはセーリングストーン(Sailing Stone)と呼ばれていて、今までに多くの科学者やNASAも調査
したそうだがはっきりとした理由はまだわかっていない。
2014年にアメリカの機関Scripps Institution of Oceanographyが2年がかりの研究により、セーリングストーンは岩石が氷に押されて動く現象という発表を行い一件落着したかに見えたがその後に新説が出てくるなど謎が完全に解明されたわけではなさそうだ。

ジョシュア・ツリー国立公園

奇妙な植物と巨石奇岩がつくる不思議な風景

ジョシュアツリー国立公園はアメリカ西海岸、カリフォルニア州南東部に位置し、面積3196平方km(1233平方マイル)は東京都の1.5倍。1994年に国立公園に指定された。
ジョシュアツリー(Yucca brevifolia)とは多肉植物リューゼツラン科ユッカ属の1種。トゲだらけの堅牢な葉と幹を持ち最大樹高15m、春に花が咲く。
この国立公園は僕が好きなアメリカ大自然の典型パターン。地殻の大変動で形成されたダイナミックな地層や巨石、そしてサボテンや多肉植物。こういう土地ではパワースポットに出会えるチャンスも多い。そして必ずといってよいほどインディアン文化繁栄の形跡が残されており、そして彼らが信仰の対象とした聖地がある。
調べてみると1855年には先住民チェマウェベイ(Chemehuev)族とカウイヤ(Cahuilla)族の住居があった。しかし1913年には当地から去ったという。彼らが独自に土地を捨てたのか、ヨーロッパ入植者の迫害があったのかどうかはわからないが、もしかしたら気候変動や水脈の変化など土地の環境に陰りが出たのかもしれない。
巨石の風景はアリゾナ州ケアフリーに近い。カタチが象徴的ないくつかの岩山に登ってみたが、ケアフリーで感じられる風が体を通り抜けるような独特の清々しさは感じられなかった。条件はそろっているが当地にはパワースポットは無いかもしれない。
現在、ジョシュアツリーはロッククライマーの人気スポットになっている。公園の北側にカリフォルニア州道62号、南側にインターステイツ10号があり、公園へのアプローチは3か所。
62号西側からジョシュア・ツリービジターセンター(Joshua Tree Visitor Center)、62号東側からオアシスビジターセンター(Oasis Visitor Center)、南側の10号からコットンウッドビジターセンター(Cottonwood Visitor Center)にそれぞれ入ることができる。見所は北西部に多いので62号の西から入り東に抜ける、あるいはその逆というのがお薦めのコース。

サワロ国立公園

砂漠に林立する大迫力の柱サボテン

サワロ国立公園はアメリカ南西部、アリゾナ州にあり面積は370平方km(142平方マイル)、最大標高はMica Mountainで2641m。1994年に国立公園に指定された。
サワロ(Saguaro Cactus)はもっとも巨大に成長する柱サボテンの1種で直径60cm、最大高は20mにもなる。正式にはサボテン科カルネギエア属、Cereus Giganteus。砂漠で発芽して10年で3mに成長しやっと片手が出てくる。
育つにつれ姿かたちは千差万別、ユーモラスな形に育つサワロも多い。片手を上げてハロー!、両手で万歳!、赤塚不二夫のシェー!もあるのだ。テンガロンハットをかぶったサワロサボテンはアリゾナの看板でよく見かける古典的キャラクターだ。
小中学生時代にサボテンに夢中になり100種類くらいを育てていた。図鑑や専門書を読んでいろいろ勉強するうちにサボテン科だけで5000種以上、なかでも好きなサボテンの殆どがアリゾナ州原産であることが判明。僕のアメリカ大自然への憧れの原点はサボテンなのだ。
アリゾナで見事なサボテンは何度も、もしかしたら何十回も見たけれど、その度にとてもうれしい気分になる。サボテンは種を蒔いて育てることもできる。普通の植物と同じように芽が出てふた葉が開く。しばらくすると葉の間から丸い小さなサボテンが出てくる。サボテンは不思議な植物で密集して植えたほうが生育がよい。競争心を刺激して土中の成分の奪い合いをするからだ。
日本にはオランダ貿易により16世紀に渡来したという。民家の軒先などでもよく見かける短毛丸(Echinopsis属Eyriwsii)という球形サボテンは日本の環境によく馴染み、10cmほどの月下美人に似た、驚くほど美しく、そして芳香性のある真っ白な花を咲かせる。
サワロ国立公園はツーソンから東のRincon Mountains側と西のTucson Mountains側のふたつのエリアに分かれている。東西では雨量と気候が少し異なり、また山から下りてくる伏流水の関係もあって巨大なサワロは東エリア、群生を見るなら西エリアがよい。付け加えるに国立公園外ではツーソンとフェニックスを結ぶ87号線沿いでサワロが林立する雄大な景色を見ることが出来る。

ザイオン国立公園

砂漠と森林が交錯する渓谷風景

ザイオン国立公園はアメリカ西部、ユタ州南西部に位置し、面積は593平方km(229平方マイル)、最大標高は2050m。1919年に国立公園に指定された。
ラスベガスから170マイル、景色を見ながらゆっくり走って3時間。日帰りもできるためグランドサークルのなかではグランドキャニオンと並ぶ観光客の多い国立公園。ロスアンジェルスからは車で7時間くらいかかる。
数千万年前、浅い海底であった当地域に3000m以上地層が隆起する地殻変動が起き、現在のコロラド平原が出来あがった。その後コロラド川の支流ノースフォーク・バージン川の水流は砂岩を削り、長さ15マイル、深さ800mに渡る現在のザイオン渓谷が出来あがった。
ザイオンには巨大な単石が多くあり、なかでもグレート・ホワイトストーンの高さ720mはオーストラリアのエアーズロックの倍。ヨセミテのエルキャピタンに次ぐ世界二位の大きさをもつ一枚岩である。
グランドサークルの国立公園群では異なった色相の砂岩が層になっている地形をよく見る。サーモン色がエントラーダ砂岩層(Entrada Sandstone)、黄色く見えるのがナバホ砂岩層(Navajo Sandstone)と呼ばれている。ザイオンの岩肌はエントラーダ砂岩層なので風景が全体的に赤っぽく見える。
アメリカの国立公園にはふたつのパターンがあり、それは砂漠とロックマウンテンの乾いた景色。もうひとつは緑ゆたかなみずみずしい山岳森林風景がある。ザイオンはそのミックス。乾いたモハベ砂漠と湿潤なコロラド平原の境目にあり、ふたつの要素が見事に共存するアメリカでは稀有な国立公園だ。赤く染まるロックマウンテンと緑の木々が交じりあった風景がザイオンの魅力なのである。
当地における人類の登場はおよそ8000年から1万年前。今から600年前までは神秘の人々アナサジ(Anasazi)族が平地に、山岳には古代狩猟民族フレモント(Fremont)族が住んだ。ヨーロッパ入植者によるザイオン渓谷の発見は1858年と記録されている。


コンガリー国立公園

原始から今に続く湿地帯

コンガリー国立公園はアメリカ南東部、サウスカロライナ州中部に位置し、面積は88平方km(34平方マイル)、1976年にコンガリー沼国立モニュメントに、2003年に国立公園に指定された。
サウスカロライナの州都コロンビアから20マイル。東海岸のチャールストン、あるいはマスターズ開催で有名なジョージア州オーガスタから、それぞれ150マイルの距離にある。
当地域にはかってカウタバ、チェロキー、チカソー、コンガリーなど20数部族のインディアンが居住していたが政府の強制移住政策により当地を追われた。
公園を緩やかに流れるコンガリー川の度々の氾濫は沼地化を更に促進し、豊富な栄養素を流域に供給しコンガリーの生物多様性を育んでいる。沼地のヌマスギは最大50m近くまで生育し、これはアメリカ東部では最大級なのだそうだ。沼底から樹木の根がタケノコのように地面に付き出す光景は何とも不思議。
公園内には遊歩道やキャンプ地もあるが、おおむね水たまりとも川とも判別できない湿地帯となっていて爬虫類、両生類はじめ生物多様性の宝庫。いかにもヘビの大群がたくさんいそうな環境だがボードウォークは地面から2mほどの高さがあるのでまずは安心。
しかしこの公園は明るい日差しの中ではともかく、うす暗くなるとかなり気味悪い。アメリカの国立公園ではカラダがスッと軽くなるような、ああ、ここがパワースポットだ、という心地よい地点に度々出会うが、この公園はそういう傾向の土地柄ではなさそうだ。世界中から湿地帯とジャングルが消えゆくなか、コンガリー国立公園は貴重な地球資源のひとつということなのである。

グレートスモーキーマウンテン国立公園

連なる山脈が青く霞む

グレートスモーキーマウンテン国立公園はアメリカ南東部、ノースカロライナ州、テネシー州に跨る国立公園で面積は2110平方km(814平方マイル)、最大標高はアパラチア山脈にあるクリングマンズ・ドームで2025m。1934年に国立公園に指定、1983年ユネスコ世界遺産登録された。北西50マイルにノックスビル、南東80マイルにアッシュビルの町がある。
国立公園となったグレートスモーキーマウンテンのエリアには数千年来に渡り先住民族インディアンチェロキー族が居住していた。18世紀後半からヨーロッパ人の入植に伴い森林の伐採が活発化し、更に1830年にアメリカ政府が制定したインディアン強制移住法により先住民族は当地から姿を消した。
この国立公園の、雨が多く湿潤な気候とクマとサンショウウオが棲む大自然はどこか日本の山林風景とイメージが重なる。山間部の降雨量は年間で2200mm。高知県の年間降雨量とほぼ同じ、ちなみに日本の平均は1700mm。モニュメントバレーなどアメリカ大自然の典型像である砂漠の大平原風景とは真逆、湿潤な気候と広葉樹の原生林は日本の山間部の環境と近い。
グレートスモーキーマウンテンのもうひとつの特徴は1本しかない州道が大渋滞するということ。入園者数はアメリカ国立公園最大で年間1千万人に達する。とくに秋の紅葉シーズンの混雑は想像を絶する。公園北側にピジョンフォージというファミリー層や若い人向けのアトラクションやテーマパーク等々が州道沿いに延々連続する騒々しい町があってこれが混雑の原因。
公園には東のチェロキーから入って北のガットリンバーグに抜けるというのが渋滞に巻き込まれない方法だと思う。青い山脈、若い人。陽のあたる坂道。何かにつけて日本的な国立公園なのである。


クレーターレイク国立公園

大地にドカーンと巨大な穴

クレーターレイク国立公園はアメリカ西部、オレゴン州南部にあり面積741平方km(286平方マイル)。1902年に国立公園に指定された。
好きな州でオレゴンを筆頭にあげる人は多い。ピノノワールとクラフトビール、料理、果物、美しい丘陵と森林など魅力は尽きない。クレーターレイクはそのオレゴン州で唯一の国立公園だ。国立公園は現在アメリカには59か所あり、クレーターレイクは1872年のイエローストーンから数えて5番目の指定となった。
日本から利便性のよい西海岸。とはいっても国際線が発着する大きな都市でいうとオレゴン州シアトルとカリフォルニア州サンフランシスコの中間地点なので、どちらから行ってもそれなりに遠い。サンフランシスコからだと北に450マイル、車で8時間の距離だ。
北にアンブクア(Umpqua National Forest)、南にウインマ(Winema National Forest)という森林地帯のはざま、標高2000m近い高地を走行中に突然まん丸の巨大な湖が現れる。圧巻なのは湖面の色。不自然なほど濃く青い。呆気に取られるとはこのこと。アメリカに数ある大自然のなかでも文句なしの絶景といえる。
ただし秋から春は降雪で道路閉鎖が多くクレーターレイクを訪れるのは夏に限定される。湖面の標高は1883m、水深は597m。アメリカでももっとも深い湖でもある。この湖は1853年にジョン、ヘンリー、アイザックという三人組の鉱山師により発見されたと記録にある。その後クレーターレイクと名付けられた。
クレーターとは天体の衝突によって作られる地形で、たしかに巨大な隕石がぶつかったように見えるが、この命名は間違っていて実際には火山活動により形成されたカルデラ湖なのだ。湖は地下水や河川とは繋がらない雨の溜水だけのため透明度は高く、またお椀状に深くえぐれた地形が独特の濃く青い湖面風景をつくっているのだという。

グレーシャー国立公園

アメリカでもっとも美しい森と湖をもつ山岳国立公園

グレーシャー国立公園はアメリカ西部、モンタナ州にあり面積4102平方km(1583平方マイル)。1910年に国立公園に指定された。アメリカ本土の北端に位置し、カナダ側のウォータートンレイク国立公園と接している。
グレーシャーは「氷河」の意味。氷河に削られた急峻な山岳と数百に及ぶ湖は1万年前につくられ、今もなお25の氷河が公園内に残されている。
アメリカ大自然を大きくふたつのパターンに分けると砂漠とロックマウンテンによる赤褐色の風景。もうひとつには森と湖に囲まれた緑と青の山岳森林風景がある。グレーシャー、グランドティトンは後者を代表する国立公園である。
グレーシャーとグランドティトンに敢えて順位をつけるとすれば、息をのむ絶景と感動的な大自然という点ではグレーシャー。パワースポット感の強さという点ではグランドティトンが上というのが僕の感想。
森と湖に恵まれたグレーシャーは野生動物の宝庫でもあり、マウンテンライオン、マウンテンゴート、ビッグホーン、ムース、エルク、ディアなどが生息する。しかし何と言ってもグレーシャーのハイライトは巨大な灰色熊グリズリーだろう。体重は最大で450kg、立ち上がった時の高さは3mもあるという。
幸運にもスウィフトカレント湖(写真4)に面した山の斜面を車で走行中に悠然とハックルベリーを食べるグリズリーの親子を見ることができた。ハックルベリーとはモンタナの山岳に自生する低木ベリーの1種でグリズリーの大好物。巨漢なので1日でいったい何粒くらい食べるのだろう。
果実はブルーベリーよりさらに濃い青色でジャムにするとたいへん美味。グレーシャーではハックルベリーの瓶詰めがどこにでも売られているが他では買えない希少食品。お土産にと思いひとつだけにしたが、もっと買っておけばよかったと後悔しきりなのである。

グランドティトン国立公園

アメリカ山岳最高のパワースポットの地

グランドティトン国立公園はアメリカ西部、ワイオミング州にあり面積は1255平方km(484平方マイル)。1929年に国立公園に指定された。公園北端はイエローストーンと道路で繋がっている。
標高4197mのグランドティトンを中心に3600m超の12の山によるティトン連峰は壮大。公園は南北に細長く山脈と並行してスネークリバーが流れ、多くの湖が点在する。
いかにも神々しく壮大で美しいティトン山脈。気持ちのよい空気感、佇むだけで体が軽くなるような清涼感が足元から伝わってくる。マウントシャスタ、マウントレーニア、グレーシャーと並ぶ素晴らしい山岳系のパワースポットである。
アメリカ大自然の典型例としてグランドキャニオンに象徴される砂漠のロックマウンテン風景、そしてもう一方ではゆたかな森と湖に囲まれた清々しい山岳森林風景がある。グランドティトンは後者を代表する国立公園といえる。
宿泊施設は園内にいくつかあるがジャクソンレイク・ロッジ(Jackson Lake Lodge)はティトン山脈を一望でき、またダイニングのメニュー、設備も国立公園内ロッジとしては超一級。
しかし公園外のジャクソンに滞在するのも楽しいと思う。タウンスクエアには大量のエルクの角を積み上げてつくったゲートがあり、工芸品のショップやギャラリーが軒を連ねる。カウボーイの州、ワイオミングの伝統が今に生きる歴史の町だ。
ティトン連峰の大迫力は映画や広告撮影のロケーションとなることもしばしば。ティトン山脈を背景に、少年が叫ぶ「シェーン、カムバック!」は映画史に残る名シーンとなった。「シェーン(Shane)」は1953年公開、ジョージ・スティーブンス監督、アラン・ラッド主演のパラマウント映画。

グランドキャニオン国立公園

大峡谷に地球創生の過程を垣間見る

グランドキャニオン国立公園はアメリカ南西部、アリゾナ州北西部に位置し、公園面積4931平方km(1903平方マイル)はアメリカ本土では4番目の広さ。1919年に国立公園に指定、1979年にはユネスコ世界遺産に登録された。フラッグスタッフから100マイル、ラスベガス、フェニックスから250マイル、公園には空港もあり利便性がよい。
グランドキャニオンはまさに地球の地割れ。アメリカ国内線を移動中の航空機からでもくっきり見える峡谷は全長280マイルに渡る。この長さは東京から京都までの距離に匹敵する。深さは1600m。
もともと海底だった当地域が標高8000mまで隆起し、その台地が氷河期の水量ゆたかなコロラド川に掘削され数百万年を経てこのような景観が出来あがった。岩壁を上から眺めるとあきらかに質の異なる地層の重なりが明瞭に見える。
先カンブリア時代の海底地層から始まり過去20億年間の地層を岩壁の下から順に見ることができる。地層1センチは約1万年分に相当する。それぞれの時代の化石も見られ、恐竜がいた中生代は現代に近く、上から50m程度の浅い場所だという。まさに地層の歴史博物館なのである。
公園へのアプローチはサウスリムとノ―スリムの2か所。北側は標高が高く、夏は冷涼、広葉樹の森もあって南側とは異なる風景。11月から4月末は雪のためクローズされる。
公園内ウエストリムにはHopi Point、Powell Point、Pima Pointなど壮大な景色を眼下に眺める場所がいくつかあり、とくに2007年に出来たスカイウォークのインパクトは強烈。その名の通り、空を歩く道。絶壁から空中に張り出した透明ガラスの道を歩くという仕掛けらしいが、高所恐怖症の僕にとっては気絶ものである。

グアダルーペマウンテン国立公園

テキサスの大秘境、砂漠の真ん中の山岳国立公園

グアダルーペマウンテン国立公園はアメリカ南東部、テキサス州西部に位置し、面積は350平方km(135平方マイル)、最高標高は2667m。1966年に国立公園に指定された。当地にはかつてカランカワ、キカプー、コマンチ、トンカワ、リパン・アパッチなど多数のインディアン部族が住んでいた。
公園はテキサス州の3大都市であるヒューストンから580マイル、サンアントニオから410マイル。ダラスからだと440マイル。どこから行っても車で片道7時間くらいかかる。もちろん公園内や周辺に宿泊設備はない。文句なしのアメリカ大奥地である。
年間入園者数が17万人前後。東京23区の半分以上の広さに1日当たり500人しか来ないのだから広い公園内でも人に会うことなど殆ど無い。その分、野生動物との出会いは期待できるのだ。
実際、森とキャニオンの切れ目あたりを走行中に突然ネコ科の大型動物が車の前を横切った。色は周辺のキャニオンとまったく同じ黄土色、尻尾がとても大きく長くて特徴的。初めて見る本物のマウンテンライオンだ。これには大感激、ひと気の少ない過疎の国立公園だからこその幸運だった。
当地に生息するマウンテンライオンはネコ亜科最大の大型肉食獣。アメリカではピューマ、クーガーとも呼ばれ、オスの尾を除いた最大体長は1.8m、体重は100kgになるという。
グアダルーペマウンテンは概ね荒涼とした山岳とロックキャニオンがメインで見どころとしてはMc Kittrick Canyon、Manzanita Springs、Smith Springsなど。ほかに歴史資産としてバターフィールド・オーバーランドメール駅馬車の廃墟がある(写真4)。この地域は19世紀の西部開拓時代にはセントルイスからサンフランシスコを繋いだ郵便駅馬車の通過点だった。

オリンピック国立公園


アメリカ最高湿度と最高雨量、鬱蒼と茂る温帯雨林

オリンピック国立公園はアメリカ西海岸、ワシントン州にあり面積は3734平方km(1441平方マイル)、最大標高はオリンポス山で2427m。1938年に国立公園に指定、公園内のホー・レインフォレストは1981年にユネスコ世界遺産に指定された(写真1-2)。
シアトルからは直線ではたった30マイルの距離だが海峡を挟んだ反対側のオリンピック半島北端にあるので車でいったん南に迂回しタコマ、そしてオリンピアを経由する必要がある。
オリンピック国立公園はまったく異なった景観を持つ三つのエリアをひとつに統合して成り立っている。太平洋岸の海岸線、オリンピック山脈地帯、温帯雨林である。
太平洋岸の海岸線は森と砂浜が一体化され寒流が打ち寄せる壮大な眺め。海岸には巨大な動物が白骨化したかのようなゴツゴツした流木が散乱し不思議な風景をつくっている。
氷河に覆われたオリンピック山脈地帯は清涼感があり壮大。夏季には高山植物が咲き乱れ一面のお花畑となる(写真3)。西側のオリンポス山は太平洋の湿った空気の影響を受け降雪が多く氷河が見える(写真4)。反対に東側のデセプション山は乾燥した岩肌がむき出しの山岳であり際立った対比を成す。
そしてオリンピック国立公園の最大の見どころともいうべき温帯雨林。ここはまさに異界。山脈地帯の爽快感とは一転、どんより重く湿った空気が垂れこめる。昼でも薄暗い。地面はシダ類で覆われ、樹木からは苔が垂れ下がり異様な雰囲気。負のパワースポットとでも表現しようか、魔物がひっそりこちらを窺っているかのようにも感じる。とても長くは居られない。
このエリアの雨量、年間3700mmはアメリカ本土最高、湿度でもアメリカ最高を記録している。

エバーグレーズ国立公園

大湿原に幅150km水深30cmの川が流れる

エバーグレーズ国立公園はアメリカ南東部、フロリダ半島の南端に位置し面積は13158平方km(5078平方マイル)。これは東京都の3倍にあたりデスバレー、イエローストーンに次ぐアメリカ本土で3番目に広い国立公園。1947年に国立公園に指定、1979年ユネスコ世界遺産に登録された。
エバーグレーズは生態系の多様性に富み400種の鳥類、100種の魚類が生息し、多くの珍しい植物が自生する。ワシントン条約で輸出入が規制されている希少樹木であるマホガニーの大木(写真3)も見られる。
マイアミからインターステイツ1号線を南に30マイル進むと公園のゲートシティとなるホームステッド(Homestead)の町がある。道中、車を降り幅2、3mほどの小川をそっと覗き込むとワニが浮かんでいるので吃驚仰天。何でこんなに車通りの多いしかも狭苦しいところに暮らしているかと思ったが、よく考えてみるとワニは道路が出来るずっと昔からこの川に棲む先住者なのだ。
これは序の口、国立公園エリアに入ると巨大なワニが湿地や草むらでごろごろ昼寝をしている。ワニ好きの僕としては何時間でも見ていたい幸せな光景なのだ。アメリカ7番目の大都市マイアミからたった1時間。これほど自然に恵まれた環境が地球上に残っていることに感動。
この地域のワニはおもに2種類。アリゲーター(Alligator)は最大で5mほどで口が扁平なのが特徴。恐ろしい顔に似合わず性格は温和で攻撃性はない。クロコダイル(Crocodile)は最大で6m以上になり口が尖って細長い。こちらは比較的危険といわれている。
しかしどちらのワニも僕がロソロと近づいても全然動じず無関心。何故ならワニはフロリダでは食物連鎖の頂点にいて怖がるものは何もないからだそうだ。

ウィラメットバレー

オレゴン・ワインカントリー

ウィラメットバレーはアメリカ西海岸、オレゴン州北西部にあり面積は13500平方km(5200平方マイル)、南北250km、東西100kmに渡る丘陵と渓谷に囲まれた広大なエリア。
ポートランドからスタートして一路南にユージンまでウィラメットバレーを4日間で巡った。途中、小さな田舎町のニューバーグで一泊だけしたホテルAllison Innは想像以上のレベルで驚いた(写真3)。葡萄畑の中に建つホテルの外観は格好よくレストラン、バーの内装もナチュラルな雰囲気ながら洗練されている。料理も素晴らしかった。
グルメ州で知られるオレゴンでもとりわけ当地は高品質な食材の宝庫で年中グルメフェスティバルが開催されているという。Oregon Truffle Festivalはウィラメットバレーに自生する黒トリュフの食の祭典だ。ホップ栽培も盛んで、醸造所が連なるユージーン・エールトレイル(Eugene Ale Trail)と名付けられた地ビール街道もある。
更にウィラメットリバー流域に広がる葡萄畑はオレゴンを代表するワインの一大生産地となっている。当地は同じ西海岸でもカリフォルニア州の気候とはだいぶ違う。年間を通して比較的湿度が高く加えてカリフォルニアより冷涼な気候がピノノワール(Pinot Noir)の生産に適している。
フランス・ピノノワールの聖地、ブルゴーニュのコートドール(黄金の丘)とほぼ同じ北緯45度で気候風土がよく似ている。多少趣が違うがウィラメットバレーのピノノワールは今や世界トップクラスの実力だ。しかしナパバレーのOpus OneやBeringerのように地域を引っ張る有名ワイナリーが見当たらず、その点は大損をしている。
想像だが200以上もあるワイナリーが多分どんぐりの背比べ的なレベルなのだろう。誰もが知るという飛びぬけた銘柄がない。瓶に貼られたラベルデザインもいまひとつ垢抜けせず記憶に残らない。しかしそこのところがかえって好感が持てるようにも思う。

イエローストーン国立公園

アメリカを代表する国立公園。圧倒的迫力の大自然

イエローストーン国立公園はアメリカ西部、ワイオミング州を中心としてモンタナ、アイダホ3州に跨る8980平方km(3470平方マイル)の広大な国立公園。1872年、世界で最初の国立公園に指定、1978年にはユネスコ世界遺産に登録された。
大地のオーラ、そして野生動物との出会い。まさに生きいきと活動する大自然の姿がそこにはある。バイソンの群れ(写真1)、灰色熊グリズリー、ビッグムース、ハクトウワシなどなど。運が良ければ草原を疾走する灰色オオカミを見ることもできるという。
大平原を緩やかに蛇行するYellowstone River(写真2)や4万リットルの熱水が一気に50mも吹きあがるダイナミックな間欠泉Upper Geyser Basin。この公園には本当にたくさんの見どころがある。
しかしここでは観光は程々にして何もしないでのんびりと過ごす時間がたいせつだ。朝と夕に散歩、日中は遠くの景色を眺めながら本を読む、夜はワインを飲む、という穏やかなスケジュールが理想的だ。
九つある公園内ロッジのレベルは高く、とりわけOld Faithful Inn(写真3-4)はイエローストーンを象徴するロッジ。1904年開業というのですでに100年以上が経過している。吹き抜けの大空間と天井まで伸びる流紋岩の暖炉には圧倒される。
ダイニングは伝統あるロッジに相応しい雰囲気を醸し出しているが、残念なことに料理やワインのセレクションは平凡だった。言葉は悪いが中途半端な高級感。この料理が数日続くと飽きてくることは間違いない。観光客が頻繁に出入りするので騒々しいというのもある。このロッジを1泊だけにして、素朴な造りのLake Lodge Cabins(写真5-7)などで残りの数日間を質素に過ごす、というのがよいプランだと思う。

アケーディア国立公園

アメリカンロブスターの一大産地

アケーディア国立公園はアメリカ北東部、ニューイングランド地方6州における唯一の国立公園。マウントデザート島を中心に南西の小島アイル・オ・オ、ベイカーアイランド及び本土スクーディック半島の一部が対象で面積は198平方km(76平方マイル)、1919年に国立公園に指定された。
岩場の斜面や点在する小さな島々の風景はたしかにアメリカでは珍しいが、どちらかというと瀬戸内海の眺めにも似ていて日本人として正直に表現すればそれほど凄いとは思わない。急傾斜の岩場風景も海から一気に800mも駆け上る小豆島にある寒霞渓の絶景には到底及ばない。大地の基盤が花崗岩であるという点でも小豆島と同じ。
メイン州沿岸にあるマチャイアスシール島と周辺海域の領有権でカナダとアメリカは紛争中だという。国土面積世界2位と3位の大国が何故こんな小島にこだわるのかと不思議に思うが縄張りの問題はいつの時代も厄介なのだ。
公園内にはロッジはなく僕たち夫婦は島の北東部にある海岸沿いのバー・ハーバーイン(Bar Harbor Inn)に宿泊した(写真4)。外観は素朴な造りに見えるが実は歴史あるホテルで19世紀末から20世紀前半におけるニューイングランド地方の社交の場として栄えたという。テラスから大西洋が望める部屋はとても雰囲気がよい。
やや気取り過ぎにも思えるダイニングの主役は当然の如く当地名産のロブスター。オマール海老とも呼ばれる高級食材でメイン州の漁獲が90%近くを占める。ちなみにロブスターは不老不死、寿命が無い生き物といわれている。実際にはそんなことはないと思うが2009年に捕獲されたロブスターは体重9㎏で推定年齢は140歳。何事もなければ100年くらいは平気で生きるそうだ。
シーフードのバリエーションが少ないからだろうか、アメリカ人はロブスターを飛び切り珍重するが僕にはその価値があまりわからない。メイン州滞在中は結果的に毎日毎日ロブスターを食べることになったが2日目には少し飽きてきて3日目以降は食欲も落ちてくる。茹でたロブスターに溶かしバター。料理方法がどの店に行ってもだいたいワンパターンなのだ。
例えていえば日本の伊勢海老は刺身、蒸し、焼きから始まり唐揚げ、揚げ出し、鬼殻、具足煮、真丈、味噌汁などなどバラエティが豊富。ベイシックを大切にするアメリカ人気質は尊敬しているがロブスター料理にはもうちょっと変化が欲しい。

アーチーズ国立公園

大自然に架けられた巨石の大鳥居

アーチーズ国立公園はアメリカ西部、ユタ州の東南部に位置し面積は309平方km(119平方マイル)、最大標高は1732m。1971年に国立公園に指定された。
数億年前内海だった当地の最高気温は摂氏60度。強い太陽熱で海水が蒸発し岩塩地帯となり、その上部に土砂が堆積し1000m以上の厚さを持った地層が形成された。この地層が4千年前の地殻変動により隆起しコロラド川による浸食により岩塩層が溶解、水や風力の影響で岩に開いた穴が広がり特殊な地形が出来がった。
驚いたことにこの地域にはアーチ形をした巨石が2000以上もあり、総称してアーチーズと呼ばれている。とりわけデリケートアーチはアメリカ国立公園を象徴する風景として広く知られている。
コロラド州デンバー国際空港から車で6時間、さらに傾斜のきつい片道2時間のトレイルを登り切って念願のデリケートアーチに到着。やっと辿り着いたという感激もさることながら赤く染まった巨石アーチの見事なバランスに驚嘆した。高さ17m、空にそびえる岩石のかたまり。
どこか京都の平安神宮大鳥居をほうふつとさせる神々しささえ感じられる。鳥居とは神域への入り口を示し、神を祀る空間と人間が住む俗界を区画する結界であるという。かつて先住民の聖地としてこの場所が信仰の対象になっていたことは想像に難くない。
当地には紀元前後から15世紀頃にかけ狩猟採集と農耕を営む先住民アナサジ(Anasazi)族の居住地となっていた。15世紀以降はユタ州の語源となったユト(Ute)族の棲みかとなった。ユト・アステカ語族(Uto-Aztecan)に属する勇猛な山岳騎馬民族である。
アーチーズはモアブ断層の真上にあり、景観の素晴らしさに加えて強いパワースポットの土地でもある。傾斜の大きいトレイルを登っていても殆ど疲れを感じない。それどころか不思議なことに体中に清々しいエネルギーが満ちてくる。