コンガリー国立公園

原始から今に続く湿地帯

コンガリー国立公園はアメリカ南東部、サウスカロライナ州中部に位置し、面積は88平方km(34平方マイル)、1976年にコンガリー沼国立モニュメントに、2003年に国立公園に指定された。
サウスカロライナの州都コロンビアから20マイル。東海岸のチャールストン、あるいはマスターズ開催で有名なジョージア州オーガスタから、それぞれ150マイルの距離にある。
当地域にはかってカウタバ、チェロキー、チカソー、コンガリーなど20数部族のインディアンが居住していたが政府の強制移住政策により当地を追われた。
公園を緩やかに流れるコンガリー川の度々の氾濫は沼地化を更に促進し、豊富な栄養素を流域に供給しコンガリーの生物多様性を育んでいる。沼地のヌマスギは最大50m近くまで生育し、これはアメリカ東部では最大級なのだそうだ。沼底から樹木の根がタケノコのように地面に付き出す光景は何とも不思議。
公園内には遊歩道やキャンプ地もあるが、おおむね水たまりとも川とも判別できない湿地帯となっていて爬虫類、両生類はじめ生物多様性の宝庫。いかにもヘビの大群がたくさんいそうな環境だがボードウォークは地面から2mほどの高さがあるのでまずは安心。
しかしこの公園は明るい日差しの中ではともかく、うす暗くなるとかなり気味悪い。アメリカの国立公園ではカラダがスッと軽くなるような、ああ、ここがパワースポットだ、という心地よい地点に度々出会うが、この公園はそういう傾向の土地柄ではなさそうだ。世界中から湿地帯とジャングルが消えゆくなか、コンガリー国立公園は貴重な地球資源のひとつということなのである。

クレオール・ネイチャートレイル

ワニ横断注意の自然道

クレオール・ネイチャートレイルはアメリカ南東部、ルイジアナ州南西部にあり全長180マイル(288km)。このトレイルの起点となるレイクチャールズはアメリカ東西を結ぶインターステイツ10号線上にあり大自然とはいうものの交通アクセスはきわめてよい。
ルイジアナ州道14号、82号、27号、384号がネイチャートレイルの対象となっているが1本の道に繋がっている訳ではなく、車で走っていて時々道に迷いそうになる。周辺は小川や湿原、湖が入り混じるウェットランドで自然感満載。巨大なアメリカアリゲーターをはじめ野生動物の宝庫となっている。
クレオール・ネイチャートレイルは2002年にオールアメリカンロードに指定された。1989年にシニックバイウェイ法が成立し、考古学、文化、歴史、自然、レクレーション、景観の6項目を審議し120の道路が「ナショナルシニック・バイウェイ」に、30か所が最高峰の「オールアメリカンロード」に認定されている。
オールアメリカンロードのすべてを走行したわけではないが、好きな道はと聞かれれば、まずフロリダキーズ・オーバーシーズ・ハイウェイ(Florida Keys Overseas Highway)。マイアミから最南端キーウエストまで島伝いに海上を一直線に突っ走る、その爽快感は言葉にはできない。
次いで大河ミシシッピに沿って走る全長2069マイル(3329km)のグレート・リバーロード(Great River Road)。ミシシッピ川は氷河湖イカタスを源流とし10州を南下してニューオーリンズ湾に注ぐ。三番目はルート66(Route 66)。シカゴからサンタモニカを結ぶ全長2347マイル(3755km)の旧国道。古き良き時代を象徴する歴史街道だ。
こう考えてみるとアメリカの旅の魅力は「点」ではなく「線」、町と町をつなぐその線上に面白みがあると思う。もうひとつは「面」だろうか。例えば国立公園などにじっくり滞在し広大なエリアをぐるぐると巡るのもたいへん楽しい。

グレート・リバーロード


アメリカ縦断、大河ミシシッピの旅

グレート・リバーロードは蒸気船が往来した19世紀のミシシッピ河川交易を象徴する道路。全長2069マイル(3329km)でミシシッピ川に沿ってアメリカを南北に縦断する。
ミシシッピ川は開拓時代における農産物、綿花や砂糖など重要な河川交易のルートとなっていた。そのミシシッピに並走する道路がグレート・リバーロードでありアメリカを東西に繋いだルート66と共にアメリカの経済発展を彩った歴史街道となっている。
僕たち夫婦は同じ年の夏と冬の2回に分けてこの道を走行した。もちろん夏に北部、冬に南部。南北に移動する縦の旅は日ごとに気候が変化し植物相の移り変わりも大きくメリハリがある。
ミシシッピ川はミネソタ州北部にある氷河湖イタカスを源流とし、南下してウィスコンシン、アイオワ、イリノイ、ケンタッキー、テネシー、アーカンソー、ミズーリ、ミシシッピ、ルイジアナの10州を経てニューオーリンズ港があるメキシコ湾に注ぐ。
ミシシッピの語源は先住民オジブワ族の言葉で「大きな川」。アマゾン、ナイルと並ぶ世界三大河川のひとつで総延長は3731マイル(5971km)。直線に換算すると北海道から沖縄の倍の距離という途方もない長さなのである。流域には紀元前から多部族の先住民が住んだが、17世紀中ごろからフランス人による入植がはじまりフランス領となった。
1803年にアメリカはミシシッピ川以西のルイジアナをフランスから購入。2500万ドルという世紀の大買収によりミシシッピ川の東西流域はアメリカ支配下となった。蒸気船での航行は1811年から始まり、南北戦争が勃発した1860年代に最盛期を迎え、その後鉄道の登場に伴い急速に衰退する。
ウインスコンシン州ラクロス(La Crosse)は川に面した静かな町(写真4)。河口から北に1500マイル(2400km)も遡った内陸にありながら川幅は何と5000m。川岸からの眺めはまさに大海原。アメリカのスケールを見せつけられた思いである。

グレートスモーキーマウンテン国立公園

連なる山脈が青く霞む

グレートスモーキーマウンテン国立公園はアメリカ南東部、ノースカロライナ州、テネシー州に跨る国立公園で面積は2110平方km(814平方マイル)、最大標高はアパラチア山脈にあるクリングマンズ・ドームで2025m。1934年に国立公園に指定、1983年ユネスコ世界遺産登録された。北西50マイルにノックスビル、南東80マイルにアッシュビルの町がある。
国立公園となったグレートスモーキーマウンテンのエリアには数千年来に渡り先住民族インディアンチェロキー族が居住していた。18世紀後半からヨーロッパ人の入植に伴い森林の伐採が活発化し、更に1830年にアメリカ政府が制定したインディアン強制移住法により先住民族は当地から姿を消した。
この国立公園の、雨が多く湿潤な気候とクマとサンショウウオが棲む大自然はどこか日本の山林風景とイメージが重なる。山間部の降雨量は年間で2200mm。高知県の年間降雨量とほぼ同じ、ちなみに日本の平均は1700mm。モニュメントバレーなどアメリカ大自然の典型像である砂漠の大平原風景とは真逆、湿潤な気候と広葉樹の原生林は日本の山間部の環境と近い。
グレートスモーキーマウンテンのもうひとつの特徴は1本しかない州道が大渋滞するということ。入園者数はアメリカ国立公園最大で年間1千万人に達する。とくに秋の紅葉シーズンの混雑は想像を絶する。公園北側にピジョンフォージというファミリー層や若い人向けのアトラクションやテーマパーク等々が州道沿いに延々連続する騒々しい町があってこれが混雑の原因。
公園には東のチェロキーから入って北のガットリンバーグに抜けるというのが渋滞に巻き込まれない方法だと思う。青い山脈、若い人。陽のあたる坂道。何かにつけて日本的な国立公園なのである。


クレーターレイク国立公園

大地にドカーンと巨大な穴

クレーターレイク国立公園はアメリカ西部、オレゴン州南部にあり面積741平方km(286平方マイル)。1902年に国立公園に指定された。
好きな州でオレゴンを筆頭にあげる人は多い。ピノノワールとクラフトビール、料理、果物、美しい丘陵と森林など魅力は尽きない。クレーターレイクはそのオレゴン州で唯一の国立公園だ。国立公園は現在アメリカには59か所あり、クレーターレイクは1872年のイエローストーンから数えて5番目の指定となった。
日本から利便性のよい西海岸。とはいっても国際線が発着する大きな都市でいうとオレゴン州シアトルとカリフォルニア州サンフランシスコの中間地点なので、どちらから行ってもそれなりに遠い。サンフランシスコからだと北に450マイル、車で8時間の距離だ。
北にアンブクア(Umpqua National Forest)、南にウインマ(Winema National Forest)という森林地帯のはざま、標高2000m近い高地を走行中に突然まん丸の巨大な湖が現れる。圧巻なのは湖面の色。不自然なほど濃く青い。呆気に取られるとはこのこと。アメリカに数ある大自然のなかでも文句なしの絶景といえる。
ただし秋から春は降雪で道路閉鎖が多くクレーターレイクを訪れるのは夏に限定される。湖面の標高は1883m、水深は597m。アメリカでももっとも深い湖でもある。この湖は1853年にジョン、ヘンリー、アイザックという三人組の鉱山師により発見されたと記録にある。その後クレーターレイクと名付けられた。
クレーターとは天体の衝突によって作られる地形で、たしかに巨大な隕石がぶつかったように見えるが、この命名は間違っていて実際には火山活動により形成されたカルデラ湖なのだ。湖は地下水や河川とは繋がらない雨の溜水だけのため透明度は高く、またお椀状に深くえぐれた地形が独特の濃く青い湖面風景をつくっているのだという。

グレーシャー国立公園

アメリカでもっとも美しい森と湖をもつ山岳国立公園

グレーシャー国立公園はアメリカ西部、モンタナ州にあり面積4102平方km(1583平方マイル)。1910年に国立公園に指定された。アメリカ本土の北端に位置し、カナダ側のウォータートンレイク国立公園と接している。
グレーシャーは「氷河」の意味。氷河に削られた急峻な山岳と数百に及ぶ湖は1万年前につくられ、今もなお25の氷河が公園内に残されている。
アメリカ大自然を大きくふたつのパターンに分けると砂漠とロックマウンテンによる赤褐色の風景。もうひとつには森と湖に囲まれた緑と青の山岳森林風景がある。グレーシャー、グランドティトンは後者を代表する国立公園である。
グレーシャーとグランドティトンに敢えて順位をつけるとすれば、息をのむ絶景と感動的な大自然という点ではグレーシャー。パワースポット感の強さという点ではグランドティトンが上というのが僕の感想。
森と湖に恵まれたグレーシャーは野生動物の宝庫でもあり、マウンテンライオン、マウンテンゴート、ビッグホーン、ムース、エルク、ディアなどが生息する。しかし何と言ってもグレーシャーのハイライトは巨大な灰色熊グリズリーだろう。体重は最大で450kg、立ち上がった時の高さは3mもあるという。
幸運にもスウィフトカレント湖(写真4)に面した山の斜面を車で走行中に悠然とハックルベリーを食べるグリズリーの親子を見ることができた。ハックルベリーとはモンタナの山岳に自生する低木ベリーの1種でグリズリーの大好物。巨漢なので1日でいったい何粒くらい食べるのだろう。
果実はブルーベリーよりさらに濃い青色でジャムにするとたいへん美味。グレーシャーではハックルベリーの瓶詰めがどこにでも売られているが他では買えない希少食品。お土産にと思いひとつだけにしたが、もっと買っておけばよかったと後悔しきりなのである。

グランドティトン国立公園

アメリカ山岳最高のパワースポットの地

グランドティトン国立公園はアメリカ西部、ワイオミング州にあり面積は1255平方km(484平方マイル)。1929年に国立公園に指定された。公園北端はイエローストーンと道路で繋がっている。
標高4197mのグランドティトンを中心に3600m超の12の山によるティトン連峰は壮大。公園は南北に細長く山脈と並行してスネークリバーが流れ、多くの湖が点在する。
いかにも神々しく壮大で美しいティトン山脈。気持ちのよい空気感、佇むだけで体が軽くなるような清涼感が足元から伝わってくる。マウントシャスタ、マウントレーニア、グレーシャーと並ぶ素晴らしい山岳系のパワースポットである。
アメリカ大自然の典型例としてグランドキャニオンに象徴される砂漠のロックマウンテン風景、そしてもう一方ではゆたかな森と湖に囲まれた清々しい山岳森林風景がある。グランドティトンは後者を代表する国立公園といえる。
宿泊施設は園内にいくつかあるがジャクソンレイク・ロッジ(Jackson Lake Lodge)はティトン山脈を一望でき、またダイニングのメニュー、設備も国立公園内ロッジとしては超一級。
しかし公園外のジャクソンに滞在するのも楽しいと思う。タウンスクエアには大量のエルクの角を積み上げてつくったゲートがあり、工芸品のショップやギャラリーが軒を連ねる。カウボーイの州、ワイオミングの伝統が今に生きる歴史の町だ。
ティトン連峰の大迫力は映画や広告撮影のロケーションとなることもしばしば。ティトン山脈を背景に、少年が叫ぶ「シェーン、カムバック!」は映画史に残る名シーンとなった。「シェーン(Shane)」は1953年公開、ジョージ・スティーブンス監督、アラン・ラッド主演のパラマウント映画。

グランドキャニオン国立公園

大峡谷に地球創生の過程を垣間見る

グランドキャニオン国立公園はアメリカ南西部、アリゾナ州北西部に位置し、公園面積4931平方km(1903平方マイル)はアメリカ本土では4番目の広さ。1919年に国立公園に指定、1979年にはユネスコ世界遺産に登録された。フラッグスタッフから100マイル、ラスベガス、フェニックスから250マイル、公園には空港もあり利便性がよい。
グランドキャニオンはまさに地球の地割れ。アメリカ国内線を移動中の航空機からでもくっきり見える峡谷は全長280マイルに渡る。この長さは東京から京都までの距離に匹敵する。深さは1600m。
もともと海底だった当地域が標高8000mまで隆起し、その台地が氷河期の水量ゆたかなコロラド川に掘削され数百万年を経てこのような景観が出来あがった。岩壁を上から眺めるとあきらかに質の異なる地層の重なりが明瞭に見える。
先カンブリア時代の海底地層から始まり過去20億年間の地層を岩壁の下から順に見ることができる。地層1センチは約1万年分に相当する。それぞれの時代の化石も見られ、恐竜がいた中生代は現代に近く、上から50m程度の浅い場所だという。まさに地層の歴史博物館なのである。
公園へのアプローチはサウスリムとノ―スリムの2か所。北側は標高が高く、夏は冷涼、広葉樹の森もあって南側とは異なる風景。11月から4月末は雪のためクローズされる。
公園内ウエストリムにはHopi Point、Powell Point、Pima Pointなど壮大な景色を眼下に眺める場所がいくつかあり、とくに2007年に出来たスカイウォークのインパクトは強烈。その名の通り、空を歩く道。絶壁から空中に張り出した透明ガラスの道を歩くという仕掛けらしいが、高所恐怖症の僕にとっては気絶ものである。

グアダルーペマウンテン国立公園

テキサスの大秘境、砂漠の真ん中の山岳国立公園

グアダルーペマウンテン国立公園はアメリカ南東部、テキサス州西部に位置し、面積は350平方km(135平方マイル)、最高標高は2667m。1966年に国立公園に指定された。当地にはかつてカランカワ、キカプー、コマンチ、トンカワ、リパン・アパッチなど多数のインディアン部族が住んでいた。
公園はテキサス州の3大都市であるヒューストンから580マイル、サンアントニオから410マイル。ダラスからだと440マイル。どこから行っても車で片道7時間くらいかかる。もちろん公園内や周辺に宿泊設備はない。文句なしのアメリカ大奥地である。
年間入園者数が17万人前後。東京23区の半分以上の広さに1日当たり500人しか来ないのだから広い公園内でも人に会うことなど殆ど無い。その分、野生動物との出会いは期待できるのだ。
実際、森とキャニオンの切れ目あたりを走行中に突然ネコ科の大型動物が車の前を横切った。色は周辺のキャニオンとまったく同じ黄土色、尻尾がとても大きく長くて特徴的。初めて見る本物のマウンテンライオンだ。これには大感激、ひと気の少ない過疎の国立公園だからこその幸運だった。
当地に生息するマウンテンライオンはネコ亜科最大の大型肉食獣。アメリカではピューマ、クーガーとも呼ばれ、オスの尾を除いた最大体長は1.8m、体重は100kgになるという。
グアダルーペマウンテンは概ね荒涼とした山岳とロックキャニオンがメインで見どころとしてはMc Kittrick Canyon、Manzanita Springs、Smith Springsなど。ほかに歴史資産としてバターフィールド・オーバーランドメール駅馬車の廃墟がある(写真4)。この地域は19世紀の西部開拓時代にはセントルイスからサンフランシスコを繋いだ郵便駅馬車の通過点だった。

キャッツキル

森と渓谷のニューヨークリゾート

キャッツキルはアメリカ北東部、ニューヨーク州南部にありステートパークの面積は2800平方km(1081平方マイル)、最高標高はスライド山の1274m。
マンハッタンから北に90マイル、東京に例えるなら都心から高尾山の距離感。大都会から2時間ほどの距離だが緑は深く、標高が高いせいもあり真夏でも夜になると肌寒かった。
ニューヨーク州はエリー族、デラウェア族など多くの狩猟系インディアンが住む土地だった。16世紀以降、農耕系のイロコイ族やタスカローラ族がノースカロライナ州から流れ込み、これにニューヨーク州の領土化を狙うヨーロッパ勢が加わり土地の所有権をめぐる争いが頻発した。
インディアンは言語も文化もそれぞれに異なり民族ごとの独立心がひじょうに高く、複数の部族が結束して白人に立ち向かうという発想はなかったようだ。入植者による侵略が繰り広げられるさなかに先住民族それぞれが個々に戦うという状況だった。
キャッツキル山地の先住民はモヒカン族である。髪の真ん中を残して両サイドを剃り上げるヘアスタイルで知られるが17世紀に衰退したといわれている。オランダのニューヨーク侵攻のころと重なるがモホーク族との戦いで敗れたというのがモヒカン族凋落の真相である。
ロバート・B・パーカー(Robert Brown Parker)の探偵小説「キャッツキルの鷲(A Catskill Eagle)」は当地が舞台だった。タフでロマンチックなスペンサー、料理がヘタな女医スーザン、ジャガーに乗る格闘家ホーク、拳銃使いヴィニー・モリス、クワーク警部補、フランク・ベルソン巡査部長、ギャングのトニー・マーカス、リタ・フィオーレ弁護士などなど、クセの強い人物満載のスペンサーシリーズは全部で多分40冊くらいだろうか。長年の愛読書としてアメリカを旅行する時には1冊を選んでじっくり読み直すことを楽しみにしている。

キーウエスト

楽園系パワースポット

キーウエストはアメリカ南東部、フロリダ州フロリダ半島から南西に伸びるフロリダキーズ諸島の西端に位置し、アメリカ本土最南端の小島。面積は19平方km(7平方マイル)。マイアミから160マイル。オーバーシーズハイウェイの名称にふさわしく島々を繋ぐ国道1号のドライブは爽快そのもの。
1521年先住民カルーサ族が住んでいた当地をスペイン人探検家ファン・ポンセ・デ・レオン(Juan Ponce de Leon)が発見、スペインが領有権を主張した。300年後の1821年に実業家ジョン・W・サイモントン(John W. Simonton)が島を丸ごと2千ドルで購入、しかし翌1822年、航海中のマシュー・ペリー(Matthew Perry)が当地にアメリカ国旗を掲げ最終的にはアメリカ領となった。
あまり知られていないが31年後の1853年(嘉永6年)、黒船艦隊を編成し浦賀に現れたアメリカ海軍ペリー提督と同一人物である。
キーウエストといえばまずトレジャーハンティングが有名。大航海時代、ハリケーンで難破する船が後を絶たずキーウエストには多くの金銀財宝が今も沈んだままになっている。そしては大物狙いのスポーツフィッシング。そして文豪アーネスト・へミングウェイ。キーウエストはアメリカ人の冒険魂を次々と刺激する。
数々の女性遍歴、酒豪で知られるヘミングウェイはアメリカ男性憧れの的であり、デュバルストリートのバー、スラッピージョー(Sloppy Joe’s Bar)には大勢のひげ自慢のヘミングウェイもどきが毎夜集い、酒を飲み、パパ・ヘミングウェイを語る。
まったりした空気感が漂うキーウエストは癒しのパラダイス。マロニースクエアでは夕方になると海に沈む夕陽を見る人でごった返す。太陽が半分になったところでスクエアにはロマンチックな空気が充満し、太陽が海に消え入る直前に皆いっせいに奇声をあげる。そして誰彼なしに声を掛け合う。何とも能天気でハッピーな土地柄なのだ。

ガルベストン

栄光の海賊、ジャン・ラフィットを偲ぶ

ガルベストンはアメリカ南東部、テキサス州の南東部メキシコ湾岸にあり面積は540平方km(208平方マイル)。19世紀にはテキサスを代表する貿易港として栄えたが、1900年の巨大ハリケーンで町は壊滅、経済の中心はヒューストンに移った。
落ちぶれたとはいえ町のメイン通りには、今も往時の繁栄を物語る豪壮な住宅がいくつも残されている。ビクトリア様式のBishop’s Palaceは建築家ニコラス・J・クレイトンの代表作。権威あるアメリカ建築家協会(AIA)の「アメリカでもっと重要な建築100選」に指定されている(写真1)。
ガルベストンにはもうひとつ見たい史跡があった。大海原を舞台に活躍した海賊、パイレーツ・ジャン・ラフィットの旧邸宅だ。波乱万丈に富んだその生涯は謎に満ちている。ラフィットは1782年、フランス・ボルドーに生まれ新大陸に移民。米英戦争ではアメリカに協力、1千人以上の子分と共にイギリス軍と戦った。
1812年に当地にラフィット王国をつくり、海を臨む邸宅の2階には大砲を備えメゾン・ルージュと名付けた。その後テキサス独立戦争への協力を拒否、アメリカ商船への海賊攻撃を繰り返したため政府と対立。
1821年にメゾン・ルージュを焼き払い当地を撤退した。1822年、キューバの Puerto Principeから脱獄し、翌年からカリブ海パイレーツとして暴れまわったといわれているが諸説あり不明。
メゾン・ルージュ史跡を見たくて、だいたいの目星を付けてあたりを歩き廻った。近所の人に聞いたがラフィットのことは知っていても跡地まではわからないようだ。
やっと見つけたその場所は草木に埋もれた廃墟となり、僅かに残された建物の基礎部分にはゾッとするような冷たい空気に包まれていた(写真4-6)。アメリカ政府に背いたとはいえ19世紀当時の英雄には違いない。手厚く保存されることを祈りたい。

カスター州立公園

美しい森と湖、バイソンが群れる大自然

カスター州立公園はアメリカ西部、サウスダコタ州西部に位置し面積は110平方km(43平方マイル)、最大標高は1439m、1912年にサウスダコタ州立公園に指定された。公園はブラックヒルズ国立森林公園のなかにあり、19世紀後半にアメリカ軍とインディアンが激戦を繰りひろげた地としても知られている。
カスターの名称は当時のアメリカ陸軍第7騎兵隊で知られるカスター将軍(George Armstrong Custer)に因む。彼は南北戦争で活躍し、その後インディアン・シャイアン族の討伐で功績を挙げた。1876年に始まったブラックヒルズ戦争でサウスダコタのインディアンを攻撃し、クレイジーホース率いるスー族に敗れ戦死した。
壮絶をきわめたリトルビッグホーンの戦いである。20世紀になりカスター将軍は英雄として映画では数十の西部劇に登場したが、1970年代以降は風向きが変わりこの手の映画は放映されなくなった。白人が善人、先住民が悪役という構図はあまりにも歴史を歪め過ぎているからだ。
公園には大自然の風景と多くの野生動物が観察できる長さ29kmのWildlife Loopがある。とりわけバイソンの群れは迫力満点、車や人間には目もくれず悠々と道路を横断する。公園内に1400頭が棲むという(写真4-5)。
僕たち夫婦はシルバン湖の畔にあるSylvan Lake Lodgeに4泊した。このロッジにはフランクロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)設計の本館と湖畔の林間に点在するキャビンがある。本館レストランの内装は素晴らしいし高台の窓からの眺望も最高(写真6)。しかし僕たち夫婦はキャビンを選択。すきま風が吹く老朽化した山小屋だが、森の風景に溶け込み中々よい雰囲気だ。
ロッジには戸外に木製のテーブルと焚火のアウトサイドファイヤーピットと呼ばれる設備があって、何だか森のなかで暮らしているような気分になれた。薪をくべ、キラキラと輝く無数の星を眺めながらワインを飲む、この時間が格別なのだ。

カーメル

断崖絶壁の海底峡谷

カーメルはアメリカ西海岸、カリフォルニア中部の海岸沿いの町。市の正式名称はカーメル・バイ・ザ・シー(City of Carmel-by-the-Sea)。面積は3平方km(1平方マイル)、標高68m。
17世紀まではインディアンのオローニ族が住み、スペイン統治時代を経て1848年にメキシコ領からアメリカ領となった。
サンフランシスコからカリフォルニア州道1号線を南に120マイル、モントレー半島の西端にSeventeen Mile Driveという、その名の通り17マイル(25km)の曲がりくねった有料道路がある。途上に世界的に有名なペブルビーチゴルフ場(Pebble Beach Golf Links)やリゾートホテルもある優雅なドライブコースでその南側がカーメルだ。
自然景観が美しく手入れが行き届いた町並み。20世紀以降に写真家のアンセル・アダムス、作家のジョン・スタインベックはじめ多くの芸術家や文化人が当地に移り住んだ。クリントイーストウッドが市長を務めたことでも話題になった。
海岸風景はおだやかで素晴らしい。しかし一歩海の中は恐怖の絶景だ。海岸からいきなり急傾斜で3600mの深海に達し、実際には見えないのだが海底を見下ろす景色はグランドキャニオンの倍の落差がある断崖絶壁だという。モントレー・キャニオンと呼ばれる世界有数の海底峡谷である。
ラッセン・ボルカニックの頁の繰り返しになるが、カリフォルニアにはサンアンドレアス断層という南北800マイルに渡る危険な地震帯がある。海底峡谷は過去の大地震による地割れかもしれない。活力ある土地、パワー漲るパワースポットと火山や活断層は関係深いようだ。
カーメルの宿泊施設のレベルは抜群に高い。実際に宿泊した経験ではビラスタイルのカーメルバレーランチ(写真3)、ハイランズインのふたつがとくに素晴らしかった。