超高層ビルが林立するニューヨーク。中心地のマンハッタンの面積は東京の世田谷区とほぼ同じで59平方km(23平方マイル)。一方ニューヨーク州は北海道の倍近くありカナダ国境エリー湖まで続く自然に恵まれた広大なエリア。
ニューヨークは日本でいう江戸初期の頃はインディアン・レナピ族の領土で、ビーバーが多く生息する風光明媚な大湿原だったという。マンハッタン(Manhattan)の地名はレナぺ族の言語で「丘の多い島(Manna-hata)」に由来する。それが19世紀以降たった200年でアメリカどころか世界トップの大都会に変貌した。それは何故か?
まず歴史的にいえばニューヨークに目を付けたのはオランダ人で1609年に探検家ヘンリー・ハドソンがマンハッタン島に初上陸。その後もニューヨークはオランダ人によって開拓が進められた。スペイン、フランス、イギリスは軍人と宣教師がアメリカ各地に侵攻、オランダではその役割を担ったのが商人という点が興味深い。
オランダは当初からニューヨークの経済発展を予知していたフシがある。まったく同時期に徳川家康のブレーンで天海僧正という陰陽師がいて、土地の未来を霊視する風水師でもあったが、もし天海がアメリカに行けたなら、大西洋を航行しつつマンハッタン島に天から降り注ぐ札束が見えたのではないか。
当時のオランダは商業国。土地の気力やビジネスの発展性を占う文化がオランダにあっても不思議ではない。マンハッタン島はきわめて硬度の高い真っ黒な雲母の結晶片岩という1個の巨石で出来ていて土地エネルギーはもちろんのこと地層学的にも最強なことが後世に判明した。地震がない巨石上に超高層ビルが建設されニューヨークは大発展を遂げた。
ニューヨークのパワースポットを目で見て体感できるところがセントラルパークにある。アンパイアロック(Umpire Rock)といって雲母の結晶片岩が地上に露出している場所だ。たしかにすっきりとした空気感に包まれていて心地よい。週末になると多くの人が黒々と波打つ岩山に集う。もしこの岩の上に家を建てて住んだらトランプに勝てるくらいの金持ちになれるかもしれないが実現は難しい。
ナ行
ニューオーリンズ
ニューオーリンズはアメリカ南東部、ルイジアナ州、面積は907平方km(350平方マイル)。ミシシッピ川流域にあり東にメキシコ湾、北にポンチャートレイン湖とボーン湖、南にカダウアッチ湖と川と海と湖に囲まれた湿地の町。周辺にはバイユーソーベージ、サルバドール、ピロクシーなど貴重なウエットランドの生態系資源がある。
16世紀にスペイン人が当地を発見、17世紀にはフランス人が入植し1722年にはフランス領ルイジアナの首府となった。1763年に締結されたパリ条約で一時スペインに統括されたが、1801年に再びフランス領となった。
1803年、アメリカ大統領トーマス・ジェファーソンがフランスのナポレオンからニューオーリンズを含むルイジアナ全州を破格の1500万ドルで買収した歴史的出来事は広く知られている。
ニューオーリンズはフレンチ・クォーターの名でも知られる通り、ダウンタウンにはフランス植民地時代を彷彿とさせる建物が多く残されている。ジャズの発祥地、美食の町でもあり、とりわけケイジャン料理、クレオール料理には僕たち夫婦も大いに満足した。
ふたつの料理は似ているが歴史背景はやや異なる。ケイジャンはカナダ東部のフランス領アケ―ディア(Acadia、訛ってCajun)から当地に来たフランス系住民の庶民的な料理。ジャンバラやガンボはピリッと辛口でとりわけ日本人には人気が高い。
クレオールとは当地では混血のフランス人、とくに西アフリカから来た奴隷子孫とフランス人の混血を指すことが多く、クレオール料理はケイジャン料理よりヨーロッパの香りが強い。
ニューオーリンズではクレオール料理にインターナショナルな要素を加味した創作系レストランが隆盛で、これらをヌーベル・クレオールという。
ナッシュビル
ナッシュビルはアメリカ南東部、テネシー州の州都。ケンタッキー州カンバーランド高原からテネシー州に流れるカンバーランド川沿いに位置し、面積は1363平方km(526平方マイル)、最大標高は350m。
18世紀末にヨーロッパ人が入植し1843年にはテネシーの州都となった。1862年、南北戦争さなかにアメリカ合衆国軍グラント将軍はカンバーラント川とテネシー川を掌握、ナッシュビルは南部連合国のなかで最初に北軍に陥落した。1864年、ナッシュビルの南側の町フランクリンの戦いでは1万人が戦死したと伝えられている。
南北戦争が終結した19世紀後半以降、ナッシュビルは綿花とタバコの生産で急速に経済を回復させ、また製造業と水上交易、南部における鉄道輸送の拠点として重要な地位を占めるようになった。
歴史地区に指定されているカンバーラント川沿いの倉庫街は、往時の町並みの雰囲気が残されている。またダウンタウン周辺には19世紀の繁栄期を物語るプランテーションが数多く残されている。
ナッシュビルを象徴するカントリーミュージックはアイルランドやスコットランドなどケルト人をはじめとしたヨーロッパ入植者の民謡が源流となりブルーグラスが生まれ、黒人音楽などと融合を繰り返し大衆化した。ダウンタウンにあるミュージックロウ(Music Row)には多くの音楽スタジオ、ライブハウスがある。驚いたことに朝からライブをやっている店もある。
最近、アメリカの地方都市のバーで酒を飲む人をあまり見かけない。しかし飲むのはノンアルコールビールなので酒自体は嫌いではなさそうだ。公共交通機関がほとんどないというのもある。このあたりは日本の事情とは少し違うかも知れない。
ナチェズ
ナチェズはアメリカ南東部、ミシシッピ州南西部、ミシシッピ川流域にあり面積は36平方km(14平方マイル)、標高は66m。町の名前は紀元前から当地に居住していたナチェズ族に由来する。古代ミシシッピ文化圏の一角を成したインディアン部族である。
1716年にフランス人が入植、1729年に土地の支配権を巡る紛争がやがてナチェズ戦争に発展。ナチェズ族が敗北し、1731年にフランスが当地を掌握した。ミシシッピの州都となったナチェズはアフリカ人奴隷を導入、大農園経営で繁栄した。綿花は当地から積み出され、ニューオーリンズを経てヨーロッパに運搬された。
しかし1822年に州都がジャクソンに移りナチェズは徐々に衰退する。ミシシッピ河川交易の衰退、鉄道の出現に加えて、317人の死者を出した1840年のグレート・ナチェズ竜巻も大きな痛手となった。
ナチェズ・トレース・パークウェイ(Natchez Trace Parkway)は南北戦争以前の南部の面影を残す全長444マイル(710km)に渡る歴史街道(写真2-5)。当地を起点としてアラバマ州を経てテネシー州ナッシュビルまで続き、沿道には18世紀の古びた建物や綿花畑が残っている。
僕たち夫婦はナチェズからトレース・パークウェイを北に向かった。前夜とは打って変わり森を抜ける道は嘘のように静かで穏やかだった。
前夜とは竜巻事件のこと。ミシシッピ川流域を走行中に突然車のナビと携帯電話が同時にピーピーと鳴り出した。今までに聞いたことがない警告音だ。そのうち空が真っ暗闇になりもの凄い勢いの暴風雨が襲来。視界はゼロとなり車は走行不能。何とトルネードにはまってしまったのだ。
翌朝わかったことだが竜巻に吹っ飛ばされた車もあって、悲しいことに死者も出たという。本当に恐ろしい体験となった。旅の知識はあると思っていても不意の出来事への対応は中々難しい。アメリカ大自然を甘く見てはいけないということを痛感した。