ロッキーマウンテン国立公園

アメリカ大陸を縦に貫くロッキー山脈の頂点

ロッキーマウンテン国立公園はコロラド州北部に位置し面積は1076平方km(415平方マイル)、最大標高はロングスピークで4345m。1915年に国立公園に指定された。デンバーから北西60マイルにゲートシティのエステスパークがある。
ロッキー山脈は3000m級の山々が5000kmに渡り南北に連なり、北からグレーシャー、イエローストーン、グランドティトンと続き、ロッキーマウンテン国立公園でロッキー山脈は最高頂点となる。当公園は標高差により著しく生態系が異なる。
下から順に山麓地帯(Montane Zone)、森林地帯(Subalpain Zone)、高山地帯(Alpain Zone)と三つのライフゾーンに分類され、標高3500mまでの森林地帯にはクロクマ、コヨーテなど多くの野生動物が棲み、4000m以上の高山地帯になると樹木はまったく見当たらないツンドラ気候となる。
エステスパークから公園に向かう途上、道路上を悠然と歩く2頭のムース(Moose)と遭遇。ともかくその大きさに驚嘆。とても鹿の仲間とは思えない。
ムースはインディアンの言葉で、英語ではAlces alces。日本ではヘラジカと訳されている。ムースの最大体長は3m。肩高2.3mで巨大な角まで入れると体高は優に3mを超える。
ムースはアメリカ国立公園における野生動物ウォッチングでは灰色熊グリズリー(Grizzly Beer)、バイソン(Bison)と並ぶ、人気ビッグスリーのひとつ。僕は、グリズリーはグレーシャーで、バイソンはイエローストーンでウォッチングを達成した。
ちなみに最大体重ではバイソンが1100kg、ムースが800kg、グリズリーは500kgと、どれもが途方もなく大きい。
ムースはアメリカを代表するカジュアルウェアAbercrombie & Fitchのシンボルマークにもなっている。

ロスオリボス

ワインとオリーブが育つ町

ロスオリボスはカリフォルニア州南部にあり面積6.4平方km(2.5平方マイル)、標高80m、人口は1200人。ロスアンジェルスから北に100マイルの海岸沿いの町、サンタバーバラからだと州道154号で内陸に30マイルの距離。地名のロスオリボスはスペイン語でザ・オリーブの意味だという。
オリーブの樹々が青々と繁る。季節の花が咲き乱れ、地元産のワインが飲めるカジュアルで素朴なレストランがある。道を見渡すテラス席に地元の人々が集う。静かな町なのに土地や建物がオーラでキラキラしていて活力に漲っている。交通の便はいまひとつ。だから観光客は少ない。これが、僕が好きなアメリカ田舎町の理想像だ。
ロスオリボスはほぼ満点に近い。ただ、例えば田舎町ではサンタフェやタオス、大自然ではグレーシャ、マウントレーニアなどアメリカには桁外れに景色がよくパワー溢れる土地があるので、ここは冷静に、星は三つくらいにしておこうと思う。
ロスオリボスはブドウの町でもある。当地を含む広いエリアがサンタバーバラ・ワインカントリーとなっておりサンタイネス・バレー、サンタマリア・バレー、ステリタヒルズ、バラードキャニオン、ハッピーキャニオンの五つAVA(American Viticultural Area)のワイン栽培地域に分類されている。
そのエリアの中でもとりわけ著名なAVAがロスオリボスの属するサンタイネス・バレーで、70のワイナリーが集中している。当地は夜になると太平洋から冷たい霧が流れ込み良質のシャルドネ種、ピノノワール種がすくすくと育つという。ロスオリボスの町中にあるテイスティングルームを巡ったが見たことのないラベルだらけ。ワインというのは世界各国、各地に本当に多くの銘柄があっていつも感心する。

レッドウッド国立公園

伝説の巨人ビッグフットが棲む巨木の森

レッドウッド国立公園はカリフォルニア州北部海岸沿いにあり面積は315平方km(122平方マイル)、アメリカスギの一種でレッドウッドと呼ばれる巨木が茂る樹林一帯が保護されている。1968年に国立公園に指定、1980年にユネスコの世界遺産となリ正式名称はRedwood National and State Parksに変更された。
当地には樹高115mという途方もない大きさのレッドウッドがあり、この木が地球上の最大生物といわれている。1966年に屋久島で発見された縄文杉の樹高は30mで10階建てのビルに相当する。その高さの4倍もあるので桁違いといえる。
アメリカ西海岸の森林ではとんでもない大きさの木に出会う。何故これほど巨大に育つのか。土地のパワーとの関連性を考えてみたくなるが、温暖な気候や降雨量の豊富さなどもっともらしい説明もその場所に居合わせた実感としては釈然としない。
この巨木の森にはビッグフット伝説がある。アメリカでは有名な二足歩行のUMA(未確認生物)で身長2m以上、足跡のサイズは最大で47cmあるという。毛むくじゃらで筋肉隆々。先住民である当地のインディアンには古くからサスクワッチ(Sacsquec)と呼ばれていて、ロッキー山脈の西側では度々このビッグフットが目撃され論争を巻き起こしている。1967年に撮影されたパターソンギムソン・フィルムは日本のTVでも話題になった。
ギガントピテクス(Gigantopithecus)の生き残りという説もある。旧石器時代に絶滅したとされるヒト上科の大型の霊長類で体重は推定最大540kgあったという。
レッドウッドの森は真昼でも薄暗くちょっと怖い感じがする。それでも僕たち夫婦は道端に車をとめ勇気を出して森の中をそろそろと歩いたがビッグフットの足跡すら見ることはできなかった。

ランカスター

アーミッシュの暮らしが今も続く

ランカスターはアメリカ東部ペンシルベニア州南部にあり面積19平方km(7平方マイル)、標高112m。アメリカ東海岸でもっとも長い川、サスケハナリバー(Susquehanna River)が町の西方に流れる。川の名はインディアン、サスケハナ族に由来する。メイフラワー号で最初のヨーロッパ人が入植した1620年当時に2000人ほどが当地に居住していたが、その後の迫害でサスケハナ族は衰退し川の名だけが残った。
ランカスターの歴史は古く、1709年に最初の移民であるペンシルベニア・ダッチが入植し、1729年に正式な町となった。ランカスターはアーミッシュの町としても知られている。
アーミッシュはカトリックの教義に厳格に従い移民当初の生活スタイルを守り続けている人々のこと。アメリカに住むアーミッシュ30万人の15%がランカスター居住といわれている。
ランカスターの郊外ではアーミッシュの家族が乗る馬車に何度も出会った。男性はつばの広い黒い帽子にあごひげ、吊ズボン。女性は髪の毛を束ねボンネットをかぶる独特のスタイルだ。アーミッシュの人々は車を所有しない、自宅に電気を引かないなど厳格なルールを定め近代技術に頼らない生活を300年以上も守り続けている。
ランカスターといえば1985年のハリソン・フォード主演の「刑事ジョン・ブック目撃者(Witness)」の印象が強烈だった。その映画で描かれていたアーミッシュの禁欲的、宗教色の強い、規律に縛られた生活が重々しくちょっと恐ろしくも思えた。
しかし実際にアーミッシュの人々の日常を垣間見て、実はそれ程でもなく、アメリカ開拓時代のシンプルで健康的な生き方を継承してきた素朴な人たちだとわかり、僕としてはかなりほっとしたのである。

ラッセン・ボルカニック国立公園

世界最大の溶岩ドーム

ラッセン・ボルカニック(ラッセン火山)国立公園はカリフォルニア州中北部に位置し面積は429平方km(166平方マイル)。1914年に国立公園に指定された。サンフランシスコから北に240マイル、車で4時間ほどの距離。マウントラッセンの標高は3187m。カナダからカリフォルニアに連なるカスケード山脈の南方に位置する。カスケード山脈はアメリカ最大の火山帯でもある。
アメリカの大噴火はすべてこの火山帯から起きている。当地から北にあるオレゴンのセントへレンズ山は1980年の大噴火で山頂部分の500mが吹っ飛び、面積518平方kmの森林が消失し、200マイルに渡る高速道路が破壊された。富士山とそっくりだったセントへレンズ山は爆発で真ん中がえぐり取られ阿蘇山に似たカルデラ山に変化した。噴火は脅威だ。
ラッセン最期の巨大噴火は1630年から1670年の間だったと考えられている。現在、ラッセンの温泉は沸騰し激しく蒸気が噴出している。300年以上を経た現在、地下の噴火エネルギーは最大限まで高まっておりアメリカ地質研究所と国立公園局は当公園内の9か所に地震計を設置し常時火山性ガスと地殻変動の測定を行う最大の危機管理体制に入っているという。
カリフォルニアと日本は面積も近いが火山と地震災害という点でも似通っている。カリフォルニアにはサンアンドレアスという南北に走る断層があり度々巨大な地盤変化を起こしてきた。1906年のサンフランシスコ大地震では3千人が死亡し22万5千人が家を失った。地震も火山噴火も一定周期をおいて繰り返す。サンフランシスコ周辺の地殻の歪みは限界に近く、20年以内に巨大地震が発生する可能性は80%だと考えられている。

ラグナビーチ

切り立った絶壁と美しい海岸線をもつ芸術家の町

ラグナビーチはカリフォルニア州にあり面積は24平方km(9平方マイル)。1870年代から入植者が増え、1900年代には多くのアーティストが当地に移り住み芸術活動が盛んとなった。
ラグナ・カレッジオブ・アート&デザインという1961年創立の小さな美術大学もある。
ラグナビーチの北側、3マイルの海岸線および自然森と丘陵、渓谷を合わせた10平方km(4平方マイル)がクリスタルコーブ州立公園に指定されていて当地周辺の散策コースとなっている(写真-1)。アメリカで大ヒットのTVドラマ「ジ・オーシー(The OC)」の舞台として一躍有名になった新興地クリスタルコーブは、当州立公園に面するPacific Coast Highwayの東側にあり、その住宅価格はマリブやビバリーヒルズのベルエアに並ぶという(写真-2)。
こういう所では何もすることがないのでホテルライフが中心となる。周辺で知られたホテルは4つ。クリスタルコーブ州立公園を挟んで北側にペリカンヒル(Pelican Hill、写真4-7)、南側にモンタージュ(Montage)、更に南にリッツカールトン(Ritz Carlton)とセントレジス(St. Regis)。
平屋建てのビラやバンガローに限定すればペリカンヒルとモンタージュが双壁。同じ料金で較べると部屋の広さや設備、レストランやバー共にペリカンヒルが上。暖炉もあってテラスもよい。建築とインテリアがやや男性的という感じもするが、これはゴルフコースを持つリゾートとしては致し方ないこと。
一方、モンタージュは全体的に自然観が強く優雅。どちらかといえば女性的。何といっても目の前にラグナビーチが広がっているというのが強み。ホテルの敷地と海岸線が一体となったナチュラルな花畑も可愛くて、個人的にはこちらがお薦め。

ヨセミテ国立公園

世界最大、巨大な一枚岩

ヨセミテ国立公園はカリフォルニア州の中東部、シエラネバダ山脈の中央部に位置し面積は3081平方km(1190平方マイル)、1890年にアメリカ国立公園、1984年にユネスコ世界遺産に登録された。イエローストーンと並びアメリカを代表する国立公園。
世界最大の樹木ジャイアントセコイヤ、アメリカ最高の落差を持つ739mのヨセミテ滝など、とにかくスケールの大きさが特色。そのヨセミテを象徴するダイナミックな風景がハーフドームだ(写真1-2)。真ん中からバサッと削り落とされたような垂直の絶壁。標高は2682m。1957年にロイヤル・ロビンスが最初の登頂に成功。ロビンスは埋め込みボルトやアンカーで岩場を傷つけることを嫌うクリーンクライミング倫理の提唱者で今日のスポーツ登山界に大きな影響を与えた。
ヨセミテには巨大岩山の宝庫で、ハーフドームの西側にあるエルキャピタンは一枚岩としては世界最大。
ヨセミテの先住民の歴史は紀元前6000年から始まり、19世紀にはインディアン、アワニチ族(Ah-wah-ne-chee)の居住地だった。しかし1848年にカリフォルニアで金鉱が発見され、インディアンの土地にも金脈を求める採掘者が侵入し争いが起きた。
ヨセミテのインディアン制圧のためにカリフォルニアのマリポサ軍隊が侵攻、1851年のマリポサ戦争である。勇猛で知られたテナヤ酋長(Chief Tenaya)率いるアワニチ族は抵抗したが最後は敗退した。しかしヨセミテは森林伐採や採掘、ダム建設から免れることができた。
開発が最優先される時代にヨセミテの貴重な大自然が守られたのはジョン・ミューアやセオドア・ルーズベルトなど自然主義者の運動によるもので、その後のアメリカ国立公園法の草案に繋がってゆく。

メンフィス

黒人音楽ブルース発祥の地、そしてキング牧師最期の地

メンフィスはアメリカ南部テネシー州の西端に位置し面積は763平方km(298平方マイル)、最大標高は103m。メンフィスは音楽産業の町。サンスタジオはロックンロール生みの親サム・フィリップスが1950年に創設、アメリカ音楽を語る上で欠かせない伝説的な録音スタジオである。
B.B.キング、ジョニー・キャッシュ、エルビス・プレスリーをはじめ多くのスターがこの小さなスタジオから世界へ羽ばたいた(写真5-6)。ビールストリートには多くのライブハウスが軒を連ねる(写真7-8)。
しかしメンフィスではまず、見ておきたい場所があった。ロレイン・モーテルだ(写真1-3)。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師暗殺の場所である。
メンフィスは南北戦争以前には奴隷売買の市場として栄え、20世紀以降も黒人労働力を背景にアメリカ最大の綿花集積地として発展を続けた。1960年代に公民権運動が活発となり、その功労者であるキング牧師が1968年4月4日、このモーテル、306号室で凶弾に倒れた。
通路脇からベッドが見えるほどの簡易な部屋。1964年にすでにノーベル平和賞を受けている国際的なVIPが何故このようなダウンタウンはずれの寂しいモーテルに宿泊しなければならなかったのか。奴隷制度が廃止された100年後に法の外で起きていた黒人差別についてあらためて考えさせられた。
現在、このモーテルはアメリカ政府が買い取り、永久保存されモーテルを含む周辺は国立公民権博物館(The National Civil Rights Museum)として運営されている(写真4)。
キング牧師は1929年1月15日生まれ。1月の第3月曜はキング牧師の日としてアメリカ国民の祝日となっている。

メサベルデ国立公園

忽然と消えた謎の古代民族、アナサジの住居遺跡

メサベルデはコロラド州南西部に位置し面積は211平方km(81平方マイル)、最大標高は2600m。1906年に国立公園に指定、1978年ユネスコ世界文化遺産に登録された。
アメリカ先住民(Native Americans)、インディアンの歴史をかんたんに記すと、ヨーロッパ、アジアに広がった人類は徐々に東に進みベーリング海峡を越えアラスカから南にロッキー山系を伝ってアメリカに達した。ベーリング海峡は氷河期には陸地化しており、それは3万年から1万3千年前の長期に渡る。
モンゴロイドの南アメリカ最南端への到達は1万年前と発表されているから、アメリカの人類史のスタートは今から2万年から1万3千年前頃からと考えられる。
アナサジ(Anasazi)は狩猟採集も行う農耕民族であった。紀元前500年頃には当地の丘陵などの台地で生活し、紀元700年代には統率された集団として集落を形成した。キバ(Kiva)という宗教儀式の施設をつくり、周辺を区画割りして木造を泥で固めたアドビの家を建てた。
1100年代にはいると建物は石造工法となり、数千人の住居は断崖絶壁に移った。これがメサベルデの遺跡群である。複数階建てで家族ごとに住居出来る集合住宅か団地のようにも見える。200部屋あるクリフパレス、バルコニーハウス等々多くあり、当地に点在する。
しかし1400年前後のある時期に彼らは当地からいっせいに姿を消した。コロラド州のメサベルデにとどまらずユタ、アリゾナ、ニューメキシコ州に住む30万人の先住民もほぼ同じ時期にいなくなった。
不思議なことに遺跡には遺骨は無く、抗争や疫病の跡は見当たらないというから、僕の好奇心はますます高まるのである。

マウントレーニア国立公園

標高4329mの高峰、聖なる山、ティースワーク

マウントレーニア国立公園はワシントン州の北西部、シアトルから60マイルの距離に位置し、面積は953平方km(368平方マイル)。1899年にアメリカ5番目の国立公園に指定された。
太平洋から吹きつける湿度を含んだ風がレーニアの山岳に衝突し猛烈な雪を降らせる。この雪が数十もの巨大な氷河を形成した。エドモンズ氷河はアメリカ本土で最大面積、カーボン氷河はアメリカ本土で最大体積である。
レーニアの南斜面、パラダイスは夏季には高山植物が咲き乱れる景観地区(写真2-4)。しかし冬になると様相は一変、地球上でもっとも降雪量の多い地域となる。1971年冬、28.5mの世界最高積雪を記録した。
マウントレーニアは地球内部から吹き上がる火と水から出来た勇壮な独立峯。大地のエネルギーを脈々とたたえ、麓は強いパワースポットで満たされる。神々しいレーニアは数千年以上前からインディアンと霊的世界観で結ばれていた。
マウントレーニアの東側を流れるホワイト川流域には、かつてピュヤラップ(Puyallup)族、マックルシュート(Muckleshoot)族、ニスクォーリ(Nisqually族)、ヤカマ(Yakama)族などが居住し、彼らは聖なる山をティースワーク(Ti ‘ Swaq)と呼んだ。
20世紀後半からマウントレーニアをインディアンの言葉に戻す運動が起きている。2010年、ワシントン州知事はピュヤラップ族と調印し名称変更を具体化する可能性を示唆した。
国立公園内のロッジ、Paradise Innは1917年開業。マウントレーニア国立公園を象徴する歴史的木造建築物である。石造暖炉を設えたロビー、ウッディで温かみのあるダイニングの内装、料理も素晴らしい(写真-6)。2008年にリノベーションされ耐震化工事などが施された。

マード

1880’s Town、西部開拓時代の町

マードはサウスダコタ州中部ジョーンズ郡最大の町、東方にミズーリ川が流れる。郡の面積は2517平方km(972平方マイル)。東京都より広い面積に人口が1000人、気が遠くなるほど人口密度が低い典型的な過疎の地である。
サウスダコタ州はインディアンの州としても知られている。スー族の言葉「Dakota(仲間)」が州名となった。紀元前にはパレオ・インディアンが住み、1800年頃にはスー族の居住地となった。そのIndian Reservationにヨーロッパ入植者の侵入が相次ぎ、西部開拓時代には白人とインディアンの抗争が頻発した。
そんな時代の町並みを再現したのが1880’s Townである。アメリカ各地から西部開拓時代の古い建造物を集めて町をつくったという。ちなみに1880年は日本では明治13年、鹿鳴館が完成したのは1883年。
僕たち夫婦は前夜にマードの町に宿泊し、そこから出掛けた。インターステイツ90号を西に30マイル、30分の距離だ。
1880’s Townの創始者 Richard Hullingerは1969年に14エーカーの土地を購入、3年後に80エーカーを買い足し、町づくりを開始した。Dakota Hotelはドラパー、教会はディクソン、Wells Fargo銀行と電報局はゲティスバーグから移築された。
当時の市長の執務室もありデスク周りのレトロな文房具にも感動。ほかに鉄道駅、保安官事務所、散髪屋、レストラン、バーなどもあり、本当に1880年代に迷い込んだようなうれしい気分になった。
今にも雨が降りそうな重苦しい空、風がピュ―ピュ―と吹き、舞い上がる砂埃。バーの扉がガタンガタンと開閉する、というような西部劇日和のシチュエーションを期待していたが、案に相違して清々しく気持ちのよい晴天だった。

ホワイトマウンテン国立森林公園

森と渓谷のパワースポット

ホワイトマウンテン国立森林公園はニューイングランド地方ニューハンプシャー州北部からメイン州西部に跨り面積は3039平方km(1173平方マイル)。1918年に国立森林公園に指定された。イングランド人により開拓されたアメリカ北東部、北から順にメイン、ニューハンプシャー、バーモント、マサチューセッツ、ロードアイランド、コネチカットの6州をニューイングランドと呼ぶ。
当森林公園を横断する全長100マイルのホワイトマウンテントレイルはナショナルシニック・バイウェイに指定されている。アメリカでは道路を学術や観光資源の側面から評価し格付けを行っている。
考古学、文化、歴史、自然、レクレーション、景観の6項目を審議し120か所がナショナルシニック・バイウェイに、更に30か所が最高ランクの道路としてオールアメリカンロードに指定されている。歴史街道「ルート66」、ミシシッピに沿って走る「グレートリバーロード」などが有名。
当森林公園で最高峰がワシントン山で標高1917m。かつて神聖な山として当地に住むインディアン部族の信仰の対象となっていて入山も固く禁じられていた。山頂近くには行っていないのでボルテックスの強さはわからなかったがパワースポットの地であることは間違いない。川に沿ってトレイルを歩いたが吹き渡る風は爽快で気力に満ちていた。
ワシントン山は突然猛烈な風が吹く危険な山としても知られている。その風力は桁外れで103m(時速372km)という風速世界2位の記録もある。東西の風が山頂付近で衝突するという地理に加えて北方の冷たい風と南の暖気が交錯する特殊な気象条件が重なって起きる現象だという。

ホットスプリングス国立公園

スパの始祖バスハウス、伝統的な温泉療養地

ホットスプリングス国立公園はアーカンソー州中央部に位置し、面積22平方km(9平方マイル)は国立公園では最小。最大標高は317m。1921年に国立公園に指定された。
源泉地帯となるノースマウンテン、ウエストマウンテンおよびその谷間のバスハウス・ロウが公園エリアだが、商業施設やホテルが立ち並ぶ景観はアメリカ国立公園としてはきわめて異質。
当地は数千年に渡りインディアンが居住し温泉は身体保養に活用されていた。1541年にスペイン人によって発見され、17世紀にフランス人が入植した。
1875年にはじめての高級ホテル、アーリントン(Arlington)が開業(写真-6)、同年にホットスプリングス鉄道も開通し温泉観光地として徐々に発展してゆく。
しかしバスハウスの入湯者数は1946年の64万人をピークに徐々に減少しだす。長らく滞在し療養するバスハウスは現代生活には向かない。洗練されたスパリゾートの普及、医学の進歩も遠因。そのせいか町全体の寂れた感じは否めない。アーリントンに2泊したが老朽化がひどくホテルとしての基本機能は無いに等しかった。ホットスプリングスの南方のハミルトン湖周辺には近代的なリゾート施設が多くあり、滞在はこちらがお薦め(写真-1)。
当地出身の有名人がいる。ビル・クリントン42代大統領だ。小学生から高校卒業まで育った家はバスハウス・ロウから車で5分のところにある(写真-7)。
少年期は決して恵まれた境遇ではなかったというがホットスプリングス高校を卒業後、三つの大学を経て32歳の若さで州知事、その後の大出世は記すまでもない。
小高い丘に建つその家の土地はパワースポットかと思えるほど強い気力に満ちていた。

ペピン

「大草原の小さな家」、ローラ・インガルスの生まれ故郷

ペピンはアメリカ中北部、ウィスコンシン州西部に位置し面積は645平方km(249平方マイル)、町の南端をミシシッピ川が流れる。ミズーリ州セントルイスから一路北に500マイル、真っ青な空に映える濃い緑のトウモロコシ畑。山はまったく見当たらない。その風景はイリノイ州、アイオワ州を過ぎウィスコンシン州に入ってもいっこうに変わらない。
アメリカ中北部の平野はほんとうに広い。そのトウモロコシ畑の真ん中にぺピンという小さな町はあった。
南北戦争さなかの1863年にイングランド移民のチャールズ・インガルスとその妻キャロラインは当地ぺピンの森のなかに小さな丸太小屋(写真-1)を建て、4年後にローラが生まれた。後にアメリカを代表する作家となるローラ・インガルス・ワイルダー(Laura Ingalls Wilder)である。
西部開拓を夢見る両親と共にローラはアメリカ各地を転々とし、貧しさと数々の苦難の日々を過ごしながらもアメリカ大自然のなかでたくましく生きてゆく。
60歳を過ぎた晩年に娘の勧めで大自然の美しさや子供の頃の暮らしを綴った自伝記を書き始め、1932年に刊行された「大きな森の小さな家(Little house in the Big Woods)」が世界的なベストセラーとなる。その後、「大草原の小さな家(Little House on the Prairie)」をはじめ数々の名作を生みだした。
映画で見る西部開拓史はガンマンやカウボーイが頻繁に登場し実に男性的で勇ましい。しかし実際にはローラの家族のように素朴で堅実な開拓の歴史があったに違いない。僕たち夫婦はローラが暮らしたアメリカ中北部の田舎町を訪ね歩き、ローラの足跡を辿り、その生活をじかに感じてみたいと思った。ウォルナットグローブ、デ・スメットについては、それぞれの頁に記す。

ベアマウンテン州立公園

ニューヨーク州立公園の歴史的ロッジ

ベアマウンテン州立公園はニューヨーク州にあり面積は21平方km(8平方マイル)、標高は391m。大都市ニューヨーク・マンハッタンから北に50マイル、車で1時間ほどの距離。この公園のさらに西側がハリマン州立公園となっている。
急峻なハドソン川の西岸に位置し崖とゴツゴツとした岩が多い森と湖の風景で1913年にニューヨーク州立公園に指定され、2年後に宿泊施設であるベアマウンテン・イン(Baer Mountain Inn)がオープンした。このホテルは歴史あるアメリカ遺産として2002年に国立公園局が管理するアメリカ歴史登録財((The National Register of Historic Place)に指定されている。
国立公園法の施行、公園局の設置はアメリカが世界に誇れる法律のひとつだ。それに伴い自然環境に馴染む素晴らしい外観、内装を持つ公園内ロッジが多く生まれてきた。
その代表、イエローストーン国立公園のThe Old Faithfulの開業は1904。クレーターレイクのロッジ(Crater Lake Lodge)は1915年、ヨセミテのアワ二―(Ahwahnee)は1927年の開業だ。ベアマウンテン・インは公園ロッジ草創期の1915年というかなり早い時期にオープンした公園史に名を刻むロッジであることは間違いない。
6年間のリノベーション期間を経て2012年に再開業した。僕たち夫婦はこのロッジにそれなりの期待を持って滞在したが、大いに落胆。石と木で出来た建物は重厚感に溢れ格調は高いが中身がない。人的サービスや内装は情けない限り。
付け加えるに都市近郊の見栄えだけがよい歴史的ホテルはしばしば旅行者よりも地域の会合やウエディングを重視する。そういう時に当たってしまうとロビーでワインを飲んだり、庭でゆっくり本を読んだりというくつろぎ感は吹っ飛んでしまうのだ。

ペトログリフ国立モニュメント

古代人アナサジのビジュアルメッセージ

ペトログリフ国立モニュメントはニューメキシコ州中央部に位置し、アルバカーキからリオグランデ川を挟み西に10マイルの距離、面積は29平方km(11平方マイル)。
当地には24,000点に上る世界最大数の先史時代のペトログリフと考古学上の重要な史跡、及び5箇所に渡る火山噴石孔があり、それらの文化、自然遺産を合わせて1990年に国立モニュメントに指定された。
ペトログリフとは岩石や洞窟内部に描かれた意匠や絵文字彫刻の総称。先住民アナサジが紀元前1200年から紀元1400年頃に遺したものと考えられている。この絵文字を順次見て回ったがテーマは擬人化した動物か、意味不明な幾何学的な図形が多い。二足歩行のカメのような生き物はいったい何を意味しているのだろうか。アナサジは狩猟採集と農耕の双方を営み暮らしてきたが、いずれにしても感受性にすぐれた平和主義の部族であったのだろう。多くの絵文字をじかに見てあらためてそう思った。
アナサジは15世紀のある時期にアメリカからいっせいに姿を消した謎の古代人。プエブロの先祖(Ancient Pueblo People)だという説もあるが、正確にはわからない。現在、プエブロ族は19の種族、3万5千人がアメリカ政府により公認されていて、アコマ、ズニ、タオス、ホピなどアドビ(Adobe)煉瓦で造られた集落に住む。
ちなみに先史以来アメリカには900以上のインディアン部族が居住していたが、彼らは一様に自尊心が高く、 それぞれが固有の文化と言語を持ち、互いを相容れなかった。数千年に渡り、部族間抗争を繰り返してきたというが、もしアメリカのインディアン部族が16世紀の時点で統一されていたら、ヨーロッパ人によるアメリカ征服の歴史は変わっていただろう。

ブラックヒルズ国立森林公園

グレート・スー・ネイション、偉大なるスー族の聖地

ブラックヒルズはサウスダコタ州西部からワイオミング州北東部に跨る4850平方km(1875平方マイル)の広大な国立森林公園。最大標高はハーニー山の2206m。
明るい草色の丘陵地帯にポンデローサ松がくっきり黒く映える風景はまさにブラックヒルズと呼ぶにふさわしい。草原、美しい森と湖、バイソン、ビッグホーンシープなど多くの野生動物が棲む大自然の恵みに溢れた素晴らしい地域だ。
しかしブラックヒルズには複雑なアメリカの歴史がある。1800年以降、ヨーロッパからの入植者は西へ西へと領土を広げた。そのフロンティアの障害となったのは先住民だった。
アメリカ政府は指定地にインディアンを強制移住させる政策を推進した。Indian Reservationである。政府はブラックヒルズを居留地とし、1868年ララミー砦条約により、「白人の通過、居住を許さない、Great Sioux Nation」と明文化した。
ハナシはこれで終わらない。条約締結僅か6年後の1874年、ブラックヒルズに莫大な金鉱脈が発見されアメリカ軍は当地に侵攻。この条約は一方的に破棄された。インディアン迫害史に残るブラックヒルズ戦争である。
この争いはその後も続き、百数十年を経た1980年、ついに最高裁法廷で決着。アメリカによる当地の没収は条約違反とする判決が下された。政府は賠償金として1億ドル余りを提示したが、スー族はこれを拒否、あくまでも聖地ブラックヒルズの自治権の復活を主張している。
実は当地の地下には5千トン、数千億ドル相当のウラン鉱石の埋蔵が判明していて、すでに大手資本により開発は始まっている。
経済的発展を願う人々、民族の伝統文化を尊ぶ人々。互いの価値観の溝はそう簡単には埋まらない。

ブラウンカウンティ

インディアナ、インディアンの土地という名の州

ブラウンカウンティ州立公園はアメリカ中西部インディアナ州中央部に位置し面積は64平方km(25平方マイル)、最大標高は322m。1929年にインディアナ州立公園に指定された。州都インディアナポリスから南に30マイルの距離。
Abe Martin Lodgeという公園内ロッジがあるが、僕たち夫婦は公園の北側にあるBrown County Innに宿泊した。木造のカントリー風でレストランの雰囲気もナチュラルで好みのスタイルだ。
ブラウンカウンティは厳寒の冬、蒸し暑い夏と四季のメリハリが明快。とりわけ秋の紅葉が素晴らしいという、日本に似た気候で丘陵と谷が連続する地形も日本によくある風景だ。
当地は1818年のセントマリー条約によりアメリカがインディアン、デラウェア族から取得した土地である。インディアナの語源は「インディアンの土地」で、その名の通りミシシッピ川流域でのインディアンの歴史は古く、紀元前8000年頃に遡る。
アジアから氷河伝いにベーリング海峡を渡り北アメリカ大陸に到達したインディアンの祖先となるモンゴロイドは移動を繰り返す狩猟民族であり、そのため彼らはアメリカ各地に広がっていった。紀元前1000年頃からは農耕系インディアンが当地に定着した。小さな集落を形成し土器を作りトウモロコシを栽培するアデナ文化、ホープウェル文化である。
そして9世紀からミシシッピ文化が隆盛した。少数の権力者が多くの民を治める首長制国家でマウンド(Mound)と呼ばれるピラミッドに似た巨大構造物をミシシッピ流域に数多く建設した。しかし統率されたミシシッピ文化は16世紀に衰退した。
数多くのインディアン部族が対立し抗争を繰り返していた17世紀はアメリカの植民地化が始まったヨーロッパ人にとって都合のよい状況だった。

ビッグベンド国立公園

大迫力の砂漠と山岳。アメリカ最大の辺境の地

ビッグベンド国立公園はテキサスとメキシコとの州境を流れるリオグランデ川の北側、面積3242平方km(1251平方マイル)は東京都の1.5倍。最大標高はチソス山脈にあるエモリー岳で2387m。1944年に国立公園に指定された。
グアダルーペマウンテンをアメリカの大秘境と書いたが、こちらは更に奥地。テキサスのヒューストン、ダラスのどちらからでも直線距離で650マイル、車で延々片道11時間かかる。余程の動機が無ければ、誰もここまでは来ないだろう。事実、統計によると来園者の殆どがテキサス在住者なのだという。 しかし辿り着いた時のうれしさは格段。ヨセミテやイエローストーンと違って観光的なポイントがない分、余計に空漠とした風景に迫力を感じる。地平線まで続く平原と尖った山々の荒々しい風景はまさにアメリカ大自然と形容するにふさわしい。
ビッグベンドの殆どの面積をチワワ砂漠が占め、中央部にチソス山脈が走る。高温の砂漠から冷涼な山岳地帯と多様性に富んだ気候は多種の動植物を育み、生態系の宝庫となっている。また白亜紀、第三紀の生物の化石がひじょうに多く見られ、地質学上における重要な地域でもある。
当地の宿泊施設及びレストランはCisos Mountain Lodge1軒のみ。ただし公園から20マイルほど離れた田舎町、ターリングア(Tarlingua)、アルパイン(Alpain)にはモーテルがいくつかあり、その点では周辺に何も無いグアダルーペマウンテンの秘境感には及ばない。
この地域には、かつて古代狩猟民族チソス・インディアン、その後メスカレロ・アパッチ(Mescalero Apache)族、更に18世紀にはコマンチェ族が居住したが、ヨーロッパ入植者の移住が進んだ19世紀以降に衰退した。

ビッグサー

クジラ飛ぶ絶景

ビッグサーはカリフォルニア州セントラルコーストに位置し、モントレー岬カーメルから南に90マイルほどの断崖絶壁の海岸線地域。1769年、後にカリフォルニア初代総督になるスペイン軍人ガスパル・デ・ポルトラ(Gaspar de Portola)率いる軍船が当地に接岸、ビッグサーに上陸した最初のヨーロッパ人となった。ビッグサーはスペイン語で「大きな南」の意味。
翌年、スペインはカリフォルニアを植民地とすることを世界に宣言した。インディアン、オローニ族、エセレン族、サリナン族はスペインの抑圧政策で衰退した。しかし当地は1821年にメキシコ支配下となった。米墨戦争でメキシコはアメリカに敗退し、1848年からは当地を含むカリフォルニア一帯がアメリカ領となった。
カーメルからスタートしてカリフォルニア州道1号線を海岸線に沿い一路南下。まさにカリフォルニアの青い空、ドカーンと広がる太平洋、空間の大きさに圧倒される。崖の下は海、道路の反対側は急傾斜の岩壁、大きなカーブが交互に連続して風景を見ている余裕は中々ない。アメリカを代表するシニックドライブであるというが、高所から見下ろす系の大自然はリラックスした気分にはなれない。
この高低差のきつい壮観な風景をつくっているのがサンタルシア山脈だ。山が海底から急角度でせり上がり海から3マイルの距離で1571mの山頂に達する。海岸線上にある山としてはアメリカ最高峰である。
ドライブに少し疲れたので道路沿いのカフェでしばしの休憩。景色の良いテラス席に。大海原の向こうを眺めていたら突然クジラが飛びあがり夫婦共々大感動。その店の名前はホエールウォッチングカフェ(Whale Watching Cafe)だったので、それほど偶然ではなかったのかも知れない。

パドレアイランド国立海浜公園

海岸草原、コースタル・プレーリー

パドレアイランド国立海浜公園はテキサス州南部にあり、面積は528平方km(203平方マイル)。パドレ島はテキサス海岸線に並行する幅2マイル、長さ数百マイルに及ぶ細長い島。
コーパスクリスティから町の東端に架かる3マイルの橋を渡れば、あっけないほどかんたんにパドレ島に到着。この島は陸と海の境界がきわめて曖昧。これはコースタル・プレーリー(海岸草原、Coastal Prairie)と呼ばれ、まさに草むらと海が混ぜ合わさったような不思議な風景だ。
メキシコ湾岸では陸地と水域の中間にあたる湿原や沼沢地、干潟が豊富でこれらを総称してウェットランドと呼んでいる。水鳥の生息地になるだけではなく、ウェットランドは地球規模で水系を調節する働き、つまり河川の氾濫や高波、津波などの自然災害を最小限に食いとめる役割も担っているのだそうだ。
当地はウミガメの産卵地としても知られ、加えて280種の渡り鳥が世界各国から飛来するという、アメリカでも有数の海浜保護区となっている。
フロリダからメキシコ湾岸地域には稀に巨大なハリケーンが襲来する。1554年、スペイン艦隊サンエステバンはパドレ島海域で暴風雨に遭い難破。巨額の金銀財宝が海中に沈み300人が死亡するという歴史上の海難事故が起きた。
スペインといえば、当時の覇者。1521年にアステカ文明、その後マヤ文明を滅ぼし、1532年にはインカを全滅させた。南北アメリカを制圧、東南アジアを含む世界制覇に邁進中のスペイン黄金の世紀(Siglo de Oro)と呼ばれた絶頂期の出来事だった。
それから410年を経た1964年にサンエステバンは当地沖合で発見された。年月をかけ修復を終えた難破船は現在コーパスクリスティ科学歴史博物館に展示されている。


バッドランズ国立公園

草原に現れる、幻想的な岩山風景

バッドランズ国立公園はサウスダコタ州南西部にあり面積は924平方km(357平方マイル)、最大標高は1018m、1978年に国立公園に指定された。アメリカ中北部特有の大平原地帯をのんびり走行していると、突如切り立った白褐色の風景が出現する。なだらかな緑の草原と寂寥とした岩山の対比は実にダイナミック。
バッドランズの地質はアメリカ大自然のなかでも比較的新しく、地殻変動で隆起したメサ(台地)が数十万年前に当地の方向に流れ込んだシャイアン川に削られ現在のような特異な風景が出来あがった。そして、この先数十万年で岩山はすべて浸食され、やがて平地になるという。
グランドキャニオンの最古の地層は20億年前なので、バッドランズの景観が生まれて消え去るまでの百万年は地球の歴史から考えるとほんの一瞬の儚い出来事だといえるかも知れない。
当地は元々インディアンの居住地だった。Cedar Passにあるピナクルと呼ばれる奇妙な形の岩山はケビン・コスナー監督・主演映画「ダンス・ウィズ・ウルブス」の撮影が行われた場所。インディアン・スー族と白人の友情を描いた作品で1991年にアカデミー賞を受賞した。1889年にアメリカ政府により禁じられた「ゴースト・ダンス」は最近になって復活した。死者の魂を蘇らせるス―族独特の儀式である。
インディアンが崇める神聖な土地、そしてその地下に眠る金やウランの鉱脈。尖がった奇怪な山々。バッドランズは文句なしのパワースポットである。
僕たち夫婦はCedar PassにあるCedar Pass Lodgeに宿泊した。キャビンのテラスにはウッドチェアがあり眺望は抜群、ピナクルから吹く風がとても爽快だ。白木材をふんだんに使用した内装は簡素ながらも清潔感があり快適だった。

デビルスタワー国立モニュメント

未知との遭遇、いったい何だ!この山は

デビルスタワーはワイオミング州北東部に位置し、面積は5.5平方km(2.1平方マイル)、最大標高は1558m。1906年に国立モニュメントに指定された。
スティーブン・スピルバーグ監督「未知との遭遇」 の印象があまりにも強烈。ラストシーンで山頂に円盤が舞い降りる。宇宙人が人類とコンタクトする謎の場所、それはデビルスタワーだった。
映画のイメージとどうしても重なるけれど、実際にデビルスタワーの麓に立つと今にも何かが起きそうな不思議な感覚に襲われる。ワイオミングの穏やかな草原地帯と、何の脈絡もない特異な独立峰の組み合わせはあまりにもミスマッチ、とにかくSF的な眺めなのだ。
デビルスタワーは古代よりインディアン・スー族、カイオア族、アラパホ族をはじめ20を超える部族に崇拝されてきた。
観光客増大とロッククライマーの出現により信仰のための祭祀が困難になったが、1994年にクリントン大統領が制定したインディアン聖地保護政策により伝統文化が復活しつつある。
実は山のように見えるかたまりは巨岩、ひとつの石だそうである。2億年前、中生代三畳紀の火山活動で噴火したマグマが厚い堆積岩層を突き破って垂直に吹きあがり、そのまま冷えて現在のデビルスタワーの形をした硬質の溶岩塊(響岩質斑岩)が地中に出来あがった。その後数千万年かけて周辺の堆積岩層が浸食されデビルスタワーが地上に出現したという。
モニュメントのゲートを一歩外に出た草原はプレーリードッグの一大生息地帯となっていた。傍に近寄る人間にはお構いなし。小さな体で背伸びしてひたすら遠くを睥睨する姿は何ともほほえましい(写真-4)。悪魔の塔に圧倒された僕たち夫婦の緊張感はすっかり緩んでしまうのだった。

デスバレー国立公園

荒々しい大地。灼熱の太陽

デスバレー国立公園はカリフォルニア州、ネバダ州に跨るアメリカ本土最大の国立公園。公園面積13158平方km(5078平方マイル)は東京都の6倍。最大標高はテレスコープ峠で3368m、最低地点はバッドウォーターでマイナス86m。1994年に国立公園に指定された。
空気が極度に乾燥しているため、少々雨が降っても地上まで届かないという過酷な環境。摂氏35度以上の気温が年間8か月続き、真夏の最高気温は56.7度を記録したという、まさに死の谷、デスバレー。
45度を体験したが、日本の夏の暑さとはかなり違う感覚。高温乾燥下では体から水分がどんどん逃げるので水の携行は必須。これほど気温が高くなるとレストランやホテルは猛烈にエアコンを効かすので、殆どの日本人は暑さそのものより温度差と乾燥で体調を崩す。しかし白人、とりわけアングロサクソンはこういう環境下でもいたって平気、すこぶる元気である。
つけ加えるとアメリカの風邪薬や鎮痛薬は少し危険。成分が強いので日本人は四分の1に割って飲むと良いとよくいわれる。彼らは酒にも強く、殆ど酔わないので驚いたこともある。西部開拓史時代、この過酷な死の谷を越え更に西に進んだ人々が現実にいたかと思うと、その体力と精神力にあらためて敬意を表す。
ファーニスクリークにビジターセンターがあり博物館もある。西部劇に出てくるようなFurnace Creek Innのビラとレストランは簡素だがたいへん雰囲気がよい。
なおデスバレーでは夜中に岩石が数10m移動する不思議な現象が度々目撃されている。これはセーリングストーンと呼ばれていて、今までに多くの科学者やNASAも調査したそうだがはっきりとした理由はまだわからないという。

ジョシュア・ツリー国立公園

奇妙な植物と巨石奇岩がつくる不思議な風景

ジョシュアツリー国立公園はカリフォルニア州南東部に位置し、面積3196平方km(1233平方マイル)は東京都の1.5倍。1994年に国立公園に指定された。
ジョシュアツリー(Yucca brevifolia)とは多肉植物リューゼツラン科ユッカ属の1種。トゲだらけの堅牢な葉と幹を持ち最大樹高15m、春に花が咲く。
この国立公園は僕が好きなアメリカ大自然の典型パターン。地殻の大変動で形成されたダイナミックな地層や巨石、そしてサボテンや多肉植物。こういう土地ではパワースポットに出会えるチャンスが多い。そして、こういう国立公園には必ずといってよいほど過去に優れたインディアン文化があり、彼らが信仰の対象とした聖地があった可能性も高い。
調べてみると1855年には先住民チェマウェベイ(Chemehuev)族カウイヤ(Cahuilla)族の住居があった。しかし1913年には当地から去ったという。彼らが独自に土地を捨てたのか、ヨーロッパ入植者の迫害があったのかどうかは調べないと不明だが、水脈の変化など地理風水に陰りが出たのかもしれない。
巨石の風景はアリゾナ州ケアフリーに近い。象徴的な岩山に実際に登ってみたが、風が体を通り抜けるような独特のパワースポット感はケアフリーには遠く及ばない。
現在、ジョシュアツリーはロッククライマーの人気スポットになっている。公園の北側にカリフォルニア州道62号、南側にインターステイツ10号があり、公園へのアプローチは3か所。
62号西側からJoshua Tree Visitor Center、62号東側からOasis Visitor Center、南側の10号からCottonwood Visitor Centerにそれぞれ入ることができる。見所は北西部に多いので62号の西から入り東に抜ける、あるいはその逆というのがお薦めのコース。

サワロ国立公園

砂漠に林立する大迫力の柱サボテン

サワロ国立公園はアリゾナ州にあり面積は370平方km(142平方マイル)、最大標高はMica Mountainで2641m。1994年に国立公園に指定された。サワロ(Saguaro Cactus)はもっとも巨大に成長する柱サボテンの1種で直径60cm、最大高は20mにもなる。正式にはサボテン科カルネギエア属、Cereus Giganteus。
砂漠で発芽して10年で3mに成長し片手が出てくる。育つにつれ姿かたちは千差万別、ユーモラスな形に育つサワロも多い。片手を上げてハロー!、両手で万歳!、赤塚不二夫のシェー!もあるのだ。テンガロンハットをかぶったサワロはアリゾナの看板でよく見かける古典的キャラクター。
小中学生時代にサボテンに夢中になり100種類くらいを育てていた。図鑑や専門書を読んでいろいろ勉強するうちにサボテン科だけで5000種以上、なかでも好きなサボテンの殆どがアリゾナ州原産であることが判明。この頃から僕のアリゾナ大自然への憧れが始まった。
サボテンは不思議な植物で密集して植えたほうが生育がよい。競争心を刺激して土中の成分の奪い合いをするからだ。日本にはオランダ貿易により16世紀に渡来したという。民家の軒先などでもよく見かける短毛丸(Echinopsis属Eyriwsii)という球形サボテンは日本の環境によく馴染み、10cmほどの月下美人に似た、驚くほど美しく、そして芳香性のある真っ白な花を咲かせる。
サワロ国立公園はツーソンから東のRincon Mountains側と西のTucson Mountains側のふたつのエリアに分かれている。東西では雨量と気候が少し異なり、また山から下りてくる伏流水の関係もあって巨大なサワロは東エリア、群生を見るなら西エリア。
なおツーソンとフェニックスを結ぶ87号線沿いでもサワロが林立する雄大な景色を見ることが出来る。

ザイオン国立公園

砂漠と森林が交錯する渓谷風景

ザイオン国立公園はユタ州南西部に位置し、面積は593平方km(229平方マイル)、最大標高は2050m。1919年に国立公園に指定された。都市圏から比較的近くグランドサークルのなかではグランドキャニオンと並ぶ観光客の多い国立公園。
数千万年前、浅い海底であった当地域に3000m以上地層が隆起する地殻変動が起き、現在のコロラド平原が出来あがった。その後コロラド川の支流ノースフォーク・バージン川の水流は砂岩を削り、長さ15マイル、深さ800mに渡る現在のザイオン渓谷が出来あがった。
ザイオンには巨大な単石が多くあり、なかでもグレート・ホワイトストーンの高さ720mはオーストラリアのエアーズロックの倍。ヨセミテのエルキャピタンに次ぐ世界二位の大きさをもつ一枚岩である。
グランドサークルの国立公園では異なった色相の砂岩が層になっている地形をよく見る。サーモン色がエントラーダ砂岩層、黄色く見えるのがナバホ砂岩層。ザイオンの岩肌はエントラーダ砂岩層。
国立公園のふたつのパターンがあり、それは砂漠とロックマウンテンの乾いた景色。もうひとつは緑ゆたかなみずみずしい山岳森林風景がある。ザイオンはコロラド平原とグレートベイスン、モハべ砂漠の境目にあり、ふたつの要素が見事に共存する稀有な国立公園。赤く染まるロックマウンテンと緑の木々が交じりあった風景がザイオンの魅力なのである。
当地における人類の登場はおよそ8000年から1万年前。今から600年前までは神秘の人々アナサジ(Anasazi)が平地に、山岳には古代狩猟民族フレモント(Fremont)が住んだ。ヨーロッパ入植者によるザイオン渓谷の発見は1858年と記録されている。

コンガリー国立公園

原始から今に続くアメリカ東南部湿地帯

コンガリー国立公園はアメリカ南部、サウスカロライナ州中部に位置し、面積は88平方km(34平方マイル)、1976年にコンガリー沼国立モニュメントに、2003年に国立公園に指定された。
サウスカロライナの州都コロンビアから20マイル。東海岸のチャールストン、あるいはマスターズ開催で有名なジョージア州オーガスタから、それぞれ150マイルの距離にある。
当地域にはかってカウタバ、チェロキー、チカソー、コンガリーなど20数部族のインディアンが居住していたが強制移住により当地を去った。
公園を緩やかに流れるコンガリー川の度々の氾濫は沼地化を更に促進し、豊富な栄養素を流域に供給しコンガリーの生物多様性を育んでいる。
沼地のヌマスギは最大50m近くまで生育し、これはアメリカ東部では最大級なのだそうだ。沼底から樹木の根がタケノコのように地面に付き出す光景は何とも不思議。
公園内には遊歩道やキャンプ地もあるが、おおむね水たまりとも川とも判別できない湿地帯となっていて爬虫類、両生類はじめ生物多様性の宝庫。いかにもヘビの大群がたくさんいそうな環境だがボードウォークは地面から2mほどの高さがあるのでまずは安心。
しかしこの公園は明るい日差しの中ではともかく、うす暗くなるとかなり気味悪い。アメリカの国立公園ではカラダがスッと軽くなるような、ああ、ここがパワースポットだ、という心地よい地点に度々出会うが、この公園はそういう傾向の土地柄ではなさそうだ。
世界中から湿地帯とジャングルが消えゆくなか、コンガリー国立公園は貴重な地球資源のひとつということなのである。

グレートスモーキーマウンテン国立公園

連なる山脈が青く霞む

グレートスモーキーマウンテン国立公園はノースカロライナ州、テネシー州に跨る国立公園で面積は2110平方km(814平方マイル)、最大標高はアパラチア山脈にあるクリングマンズ・ドームで2025m。1934年に国立公園に指定、1983年ユネスコ世界遺産登録された。北西50マイルにノックスビル、南東80マイルにアッシュビルの町がある。
国立公園となった土地には数千年来に渡り先住民族インディアンチェロキー族が居住していた。18世紀後半からヨーロッパ人の入植に伴い森林の伐採が活発化し、更に1830年にアメリカ政府が制定したインディアン強制移住法が決定打となり先住民族は当地から姿を消した。
この国立公園は雨が多く湿潤な気候、クマとサンショウウオが棲む大自然はどこか日本の山林風景とイメージが重なる。山間部の降雨量は年間で2200mm。高知県の年間降雨量とほぼ同じ、ちなみに日本の平均は1700mm。アメリカ大自然の典型である砂漠の大平原風景とは真逆、湿潤な気候と広葉樹の原生林は日本の山間部の環境と近い。
この公園のもうひとつの特徴は1本しかない州道が大渋滞するということ。入園者数はアメリカ国立公園最大で年間1千万人に達する。とくに秋の紅葉シーズンの混雑は想像を絶する。
公園北側にピジョンフォージというアトラクションやテーマパーク等々が州道沿いに延々連続する騒々しい町があってこれが混雑の原因。
公園には東のチェロキーから入って北のガットリンバーグに抜けるというのが渋滞に巻き込まれない方法だと思う。
青い山脈、若い人。陽のあたる坂道。何かにつけて日本的な国立公園なのである。

クレーターレイク国立公園

大地にドカーンと巨大な穴

クレーターレイク国立公園はオレゴン州南部にあり面積741平方km(286平方マイル)。1902年に国立公園に指定された。
好きな州でオレゴンを筆頭にあげる人は多い。ピノノワールとクラフトビール、料理、果物、美しい丘陵と森林。クレーターレイクはそのオレゴン唯一の国立公園だ。国立公園は現在アメリカには59か所あり、クレーターレイクは1872年のイエローストーンから数えて5番目の指定となった。
日本から利便性のよい西海岸。とはいってもオレゴン州シアトルとカリフォルニア州サンフランシスコの中間地点なので、どちらからもそれなりに遠い。サンフランシスコからだと北に450マイル、車で8時間の距離だ。
北にアンブクア(Umpqua National Forest)、南にウインマ(Winema National Forest)という森林地帯。標高2000m近い高地を走行中に突然丸く大きな湖が現れる。驚くほど濃く青い湖面。呆気に取られるとはこのこと。アメリカに数ある大自然のなかでも文句なしの絶景といえる。
ただし秋から春は降雪で道路閉鎖が多く、この地域に行くには夏に限定される。湖面の標高は1883m、水深は597m。アメリカでももっとも深い湖でもある。この湖は1853年にジョン、ヘンリー、アイザックという三人組の鉱山師により発見されたと記録にはある。その後クレーターレイクと名付けられた。
クレーターとは天体の衝突によって作られる地形で、たしかに巨大な隕石がぶつかったように見えるが、この命名は間違っていて実際には火山活動により形成されたカルデラ湖なのだ。湖は地下水や河川とは繋がらない雨の溜水だけのため透明度は高く、またお椀状に深くえぐれた地形が独特の濃く青い湖面風景をつくっているのだという。

グレーシャー国立公園

アメリカでもっとも美しい森と湖をもつ山岳国立公園

グレーシャー国立公園はモンタナ州にあり面積4102平方km(1583平方マイル)。1910年に国立公園に指定された。アメリカ本土の北端に位置し、カナダ側のウォータートンレイク国立公園と接している。
グレーシャーは「氷河」の意味。氷河に削られた急峻な山岳と数百に及ぶ湖は1万年前につくられ、今もなお25の氷河が公園内に残されている。
アメリカ大自然を大きくふたつのパターンに分けると砂漠とロックマウンテンによる赤褐色の風景。もうひとつには森と湖に囲まれた緑と青の山岳森林風景がある。後者を代表する国立公園としてグランドティトン、グレーシャーがあげられる。
どちらが素晴らしいかと問われれば、これはひじょうにむずかしい。敢えて優劣をつけるとすれば息をのむ絶景、感動的な大自然という点ではグレーシャー。パワースポット感の強さという点ではグランドティトンというのが僕の見解。
森と湖に恵まれたグレーシャーは野生動物の宝庫でもあり、マウンテンライオン、マウンテンゴート、ビッグホーン、ムース、エルク、ディアなどが生息する。しかし何と言ってもグレーシャーのハイライトは灰色熊グリズリーだろう。
幸運にもスウィフトカレント湖に面した山の斜面で悠然とハックルベリーを食べるグリズリーの親子を見ることができた。ハックルベリーとはモンタナの山岳に自生する低木ベリーの1種でグリズリーの大好物。巨漢なので1日でいったい何粒くらい食べるのだろう。
果実は濃い青色でジャムにするとたいへん美味。グレーシャーでは瓶詰めがどこにでも売られているが他では買えない希少食品。もっと買っておけばよかったと後悔しきりなのである。

グランドティトン国立公園

アメリカ山岳国立公園最高のパワースポットの地

グランドティトン国立公園はワイオミング州にあり面積は1255平方km(484平方マイル)。1929年に国立公園に指定された。公園北端はイエローストーンと道路で繋がっている。
標高4197mのグランドティトンを中心に3600m超の12の山によるティトン連峰は壮大。公園は南北に細長く山脈と並行してスネークリバーが流れ、多くの湖が点在する。
いかにも神々しく壮大で美しいティトン山脈。気持ちのよい空気感、佇むだけで体が軽くなるような清涼感が足元から伝わってくる。マウントシャスタ、マウントレーニア、グレーシャと並ぶ素晴らしい山岳パワースポットである。
アメリカ大自然の典型例としてグランドキャニオンに象徴される砂漠のロックマウンテン風景、そしてもう一方ではゆたかな森と湖に囲まれた清々しい山岳森林風景がある。グランドティトンは後者を代表する国立公園といえる。
宿泊施設は園内にいくつかあるがJackson Lake Lodgeはティトン山脈を一望でき、またダイニングのメニュー、設備も国立公園内ロッジとしては超一級。
しかし公園外のジャクソンに滞在するのも楽しいと思う。タウンスクエアには莫大な数のエルクの角を積み上げてつくったゲートがあり、工芸品のショップやギャラリーが軒を連ねる。カウボーイの州、ワイオミングの伝統が今に生きる歴史の町だ。
ティトン連峰の大迫力は映画や広告撮影のロケーションとなることもしばしば。ティトン山脈を背景に、少年が叫ぶ「シェーン、カムバック!」は映画史に残る名シーンとなった。「シェーン(Shane)」は1953年公開、ジョージ・スティーブンス監督、アラン・ラッド主演のパラマウント映画。

グランドキャニオン国立公園

地上最大の大峡谷に地球創生の過程を垣間見る

グランドキャニオン国立公園はアリゾナ州北西部に位置し、公園面積4931平方km(1903平方マイル)はアメリカ本土では4番目の広さ。1919年に国立公園に指定、1979年にはユネスコ世界遺産に登録された。
フラッグスタッフから100マイル、ラスベガス、フェニックスから250マイル、公園には空港もあり利便性がよい。
グランドキャニオンはまさに地球の地割れ。アメリカ国内線のジェット機からでもくっきりと見える峡谷は全長280マイルに渡る。この長さは東京から京都までの距離に匹敵する。深さは1600m。もともと海底だった当地域が標高8000mまで隆起し、その台地が氷河期の水量ゆたかなコロラド川に掘削され数百万年を経てこのような景観が出来あがった。岩壁を上から眺めるとあきらかに質の異なる地層の重なりがくっきりと見える。
先カンブリア時代の海底地層から始まり過去20億年間の地層を岩壁の下から順に見ることができる。地層1センチは約1万年分に相当する。それぞれの時代の化石も見られ、恐竜がいた中生代は現代に近く、上から50m程度の浅い場所だという。まさに地球の歴史博物館なのである。
公園へのアプローチはサウスリムとノ―スリムの2か所。北側は標高が高く、夏は冷涼、広葉樹の森もあって南側とは異なる風景。11月から4月末は雪のためクローズされる。
公園内ウエストリムにはHopi Point、Powell Point、Pima Pointなど壮大な景色を眼下に眺める場所がいくつかあり、とくに2007年に出来たスカイウォークのインパクトは強烈。その名の通り、空を歩く道。
絶壁から空中に張り出した透明ガラスの道を歩くという仕掛けらしいが、高所恐怖症の人にとっては気絶ものである。

グアダルーペマウンテン国立公園

テキサスの大秘境、砂漠の真ん中の山岳国立公園

グアダルーペマウンテン国立公園はテキサス州西部に位置し、面積は350平方km(135平方マイル)、最高標高は2667m。1966年に国立公園に指定された。当地にはかつてカランカワ、キカプー、コマンチ、トンカワ、リパン・アパッチなど多数のインディアン部族が住んでいた。
公園はテキサス州の3大都市であるヒューストンから580マイル、サンアントニオから410マイル。ダラスからだと440マイル。どこから行っても車で片道7時間くらいかかる。もちろん公園内や周辺に宿泊設備はない。大自然を通り越してアメリカの大奥地といっても過言ではない。
年間入園者数が17万人前後。東京23区の半分以上の広さに1日当たり500人しか来ないのだから公園内で人に会うことなど殆ど無い。その分、野生動物との出会いは期待できる。
事実、森とキャニオンの切れ目で突然ネコ科の動物が車の前を横切った。尻尾がとても大きく長くて印象的。初めて見る本物のマウンテンライオンだ。これには大感激、ひと気の少ない過疎の国立公園だからこその幸運であった。
当地に生息するマウンテンライオンはネコ亜科最大の大型肉食獣。アメリカではピューマ、クーガーとも呼ばれ、オスの尾を除いた最大体長は1.8m、体重は100kgになるという。
グアダルーペマウンテンは概ね荒涼とした山岳とロックキャニオンがメインで、見どころとしてはMc Kittrick Canyon、Manzanita Springs、Smith Springsなど。ほかに歴史資産としてバターフィールド・オーバーランドメール駅馬車の廃墟がある(写真-4)。この地域は19世紀の西部開拓時代にはセントルイスからサンフランシスコを繋いだ郵便駅馬車の通過点であった。

オリンピック国立公園

アメリカ最高湿度と最高雨量、鬱蒼と茂る温帯雨林

オリンピック国立公園はワシントン州にあり面積は3734平方km(1441平方マイル)、最大標高はオリンポス山で2427m。1938年に国立公園に指定、公園内のホー・レインフォレストは1981年にユネスコ世界遺産に指定された(写真1-2)。
シアトルからは直線では30マイルの距離だが、海峡を挟んだオリンピック半島北端にあるので車でいったん南に迂回しタコマ、そしてオリンピアを経由する必要がある。
オリンピック国立公園はまったく異なった景観を持つ三つのエリアをひとつに統合して成り立っている。
太平洋岸の海岸線、オリンピック山脈地帯、温帯雨林である。太平洋岸の海岸線は森と砂浜が一体化され寒流が打ち寄せる壮大な眺め。海岸には巨大な動物が白骨化したかのようなゴツゴツした流木が散乱し不思議な風景をつくっている。
氷河に覆われたオリンピック山脈地帯は清涼感があり壮大。夏季には高山植物が咲き乱れ一面のお花畑となる(写真3)。西側のオリンポス山は太平洋の湿った空気の影響を受け降雪が多く氷河が見える(写真4)。反対に東側のデセプション山は乾燥した岩肌がむき出しの山岳であり際立った対比を成す。
そしてオリンピック国立公園の最大の見どころともいうべき温帯雨林。ここはまさに異界。山脈地帯の爽快感とは一転、どんより重く湿った空気が垂れこめる。昼でも薄暗い。地面はシダ類で覆われ、樹木からは苔が垂れ下がり異様な雰囲気。負のパワースポットとでも表現しようか、魔物がひっそりこちらを窺っているかのようにも感じる。
このエリアの雨量、年間3700mmはアメリカ本土最高、湿度でもアメリカ最高を記録している。

エバーグレーズ国立公園

大湿原に幅150km水深30cmの川が流れる

エバーグレーズ国立公園はフロリダ半島の南端に位置し面積は13158平方km(5078平方マイル)。これは東京都の3倍にあたりデスバレー、イエローストーンに次ぐアメリカ本土で3番目に広い国立公園。1947年に国立公園に指定、1979年ユネスコ世界遺産に登録された。
エバーグレイズは生態系の多様性に富み400種の鳥類、100種の魚類が生息し、多くの珍しい植物が自生する。ワシントン条約で輸出入が規制されている希少樹木であるマホガニーの大木(写真3)も見られる。
マイアミからインターステイツ1号線を南に30マイル進むと公園のゲートシティとなるHomesteadがある。道中、幅2、3mほどの小川をそっと覗き込むとワニが浮かんでいるので吃驚仰天。
何でこんなに車通りの多い、しかも狭苦しいところに暮らしているかと思ったが、よく考えてみるとワニは道路が出来るずっと昔の太古の時代からこの川に棲む先住者なのだ。
これは序の口、国立公園エリアに入ると巨大なワニが草むらでごろごろ昼寝をしている。ワニ好きの僕としては何時間でも見ていたい幸せな光景だ。アメリカ7番目の大都市マイアミからたった1時間。これほど自然に恵まれた環境が地球上に残っていることに感動。
この地域のワニはおもに2種類。アリゲーター(Alligator)は最大で5mほどで口が扁平なのが特徴。恐ろしい顔に似合わず性格は温和で攻撃性はない。クロコダイル(Crocodile)は最大で6m以上になり口が尖って細長い。こちらは比較的危険といわれている。
しかしどちらのワニも、僕が相当傍まで近づいても全然動じず無関心。何故ならワニはフロリダでは食物連鎖の頂点にいて、怖がるものは何もないからだそうだ。

ウィラメットバレー

オレゴン・ワインカントリー

ウィラメットバレーはオレゴン州北西部にあり面積は13500平方km(5200平方マイル)、南北250km、東西100kmに渡る丘陵と渓谷に囲まれた広大なエリア。
ポートランドからスタートしてユージンまでウィラメットバレーを4日間で巡った。途中、小さな田舎町のニューバーグで泊まったAllison Innは想像以上のレベルで驚いた(写真-3)。葡萄畑に建つホテルの外観は格好よくレストラン、バーの内装もナチュラルな雰囲気ながら洗練されている。
グルメ州で知られるオレゴンでもとりわけ当地は高品質な食材の宝庫で年中グルメフェスティバルが開催されているという。Oregon Truffle Festivalはウィラメットバレーに自生する黒トリュフの食の祭典だ。ホップ栽培も盛んで、醸造所が連なるEugene Ale Trailと名付けられた地ビール街道もある。
更にウィラメットリバー流域に広がる葡萄畑はオレゴンを代表するワインの一大生産地となっている。当地は同じ西海岸でもカリフォルニア州の気候とはだいぶ違う。年間を通して比較的湿度が高く、しかも冷涼な気候がピノノワール(Pinot Noir)の生産に適している。
フランスのブルゴーニュ産とは趣が違うが、ウィラメットバレーのピノノワールは今や世界トップクラスの実力だ。しかしナパバレーのOpus OneやBeringerのように地域を引っ張る有名ワイナリーが見当たらず、その点は大損をしている。
200以上もあるワイナリーの殆どすべてがどんぐりの背比べ的に小規模経営のため誰もが共通に知るという銘柄がない。瓶に貼られたラベルデザインもいまひとつ記憶に残らない。
これがウィラメットバレーワインの一方の特色でもありそこのところが僕にとっては逆説的に好ましく思える。

イエローストーン国立公園

アメリカを代表する国立公園。圧倒的迫力の大自然

イエローストーン国立公園はワイオミング州を中心としてモンタナ、アイダホ3州に跨る8980平方km(3470平方マイル)の広大な国立公園。1872年、世界で最初の国立公園に指定、1978年にはユネスコ世界遺産に登録された。
大地のオーラ、そして野生動物との出会い。まさに生きいきと活動する大自然の姿がそこにはある。目の当たりに見るバイソンの群れ(写真1-2)。グリズリー、ハクトウワシ、ムースなどなど。
運が良ければ草原を疾走する灰色オオカミを見ることもできるという。 大平原を緩やかに蛇行するYellowstone River(写真3-4)や4万リットルの熱水が一気に50mも吹きあがるダイナミックな間欠泉Upper Geyser Basin。
この公園には本当にたくさんの見どころがある。しかしここでは観光は程々にして何もしないでのんびりと過ごす時間がたいせつだ。朝と夕に散歩、日中は遠くの景色を眺めながら本を読む、夜はワインを飲む、という穏やかなスケジュールが理想的だ。
九つある公園内ロッジのレベルは高く、とりわけOld Faithful Inn(写真5-6)はイエローストーンを象徴するロッジ。1904年開業というのですでに100年以上が経過している。吹き抜けの大空間と天井まで伸びる流紋岩の暖炉には圧倒される。
ダイニングは伝統あるロッジに相応しい雰囲気を醸し出しているが、残念なことにワインのセレクションとメニュウは平凡。言葉は悪いが中途半端な高級感。この料理が数日続くと飽きてくることは間違いない。観光客が頻繁に出入りするので騒々しいというのもある。
このロッジを1泊だけにして、素朴な造りのLake Lodge Cabins(写真7-9)などで残りの数日間を質素に過ごす、というのがよいプランだと思う。

アケーディア国立公園

オマールエビ、アメリカンロブスターの大産地

アケーディア国立公園はニューイングランド地方アメリカ北東部6州のなかでは唯一の国立公園。マウントデザート島を中心に南西の小島アイル・オ・オ、ベイカーアイランド及び本土スクーディック半島の一部が対象で面積は198平方km(76平方マイル)、1919年に国立公園に指定された。
急傾斜の海岸線と点在する小さな島々の風景は瀬戸内海の眺めに似ていて、日本人的な感覚で正直にいえば普通。急傾斜の岩場も、海から一気に800mも駆け上る小豆島の寒霞渓の絶景には到底及ばない。しかし大地の基盤が花崗岩であるという点では小豆島と同じ。
メイン州沿岸にあるマチャイアスシール島と周辺海域の領有権でカナダとアメリカは紛争中だという。国土面積世界2位と3位の大国がこんな小島にこだわるのかと不思議に思うが縄張りの問題はいつの時代も厄介なのだ。
公園内にはロッジはなく島の北東部にある海岸沿いのBar Harbor Innに宿泊した。外観は素朴な造りに見えるが実は歴史あるホテルで19世紀末から20世紀前半におけるニューイングランド地方の社交の場として栄えたという。テラスから大西洋が望める部屋はとても雰囲気がよい。
やや気取り過ぎにも思えるダイニングの主役は当然の如くロブスター。アメリカ人はロブスターを有難がるが、僕はそれほどでもない。メイン州滞在中はどこへ行っても毎日ロブスターを食べたが味付けがワンパターンなので3日目で完全に飽きる。
日本の伊勢海老は刺身、蒸し、焼きから始まり唐揚げ、揚げ出し、鬼殻、具足煮、真丈、味噌汁などなどバラエティが豊富。ベイシックを尊ぶ気風は素晴らしいがロブスターにはもうちょっと変化が欲しい。

アーチーズ国立公園

2000以上もあるアーチ形の巨石群

アーチーズ国立公園はユタ州東南部に位置し面積は309平方km(119平方マイル)、最大標高は1732m。1971年に国立公園に指定された。
数億年前、内海だった当地の最高気温は摂氏60度。強い太陽熱で海水が蒸発し岩塩地帯となり、その上部に土砂が堆積し1000m以上の厚さを持った地層が形成された。
この地層が、4千年前の地殻変動により隆起し、コロラド川による浸食により岩塩層が溶解、水や風力の影響でアーチーズの特殊な地形が出来がったという。
当地はかつて先住民インディアンの土地だった。紀元1世紀頃から狩猟採集と農耕を営むアナサジ(Anasazi)族が居住していたが、不思議なことに15世紀のある時期に当地から消えた。
15世紀以降はユタ州の語源となったユト(Ute)族の棲みかとなった。ユト・アステカ語族(Uto-Aztecan)に属する勇猛な山岳騎馬民族である。
アーチーズに数多くあるアーチの中でも、とりわけデリケートアーチはアメリカ国立公園を象徴する風景として広く知られている。(写真-1)。高さ17m。真下からだとアーチが空に聳えるように見える。
アーチーズはモアブ断層の真上にあり、景観の素晴らしさに加えて強いパワースポットの土地でもある。しかしデンバー、ソルトレイクシティの中間にあり車で6時間、さらに片道2時間を掛けて傾斜のきついトレイルを登る必要があり、その分、辿り着いた時の感動はより一層大きい。
きつい傾斜のトレイルを登っていても殆ど疲れを感じない。東京では運動不足で30分も歩けないのに、本当に不思議な感覚だ。まさに磁場の真上を歩くとはこのことなのである。